《「二人」を生きる関係》クリスチャン的ブランド志向

元キリスト者学生会関西主事 近藤由美

自己受容と成熟

私たちは、とかく人を外見や表に現れる行為から判断する一方で、交わる時には、見栄をはり外見を飾ろうとします。しかし聖書はいつも私たちに、表には現れてこない目に見えない部分に目を向けるようにと促しているように思います。

クリスチャンとして信仰生活を続けていても、無意識のうちにこの世俗の価値観が深く潜入していて、判断を鈍らせたり狂わせたりします。クリスチャン的ブランド志向とでも言えるものが優先する相手選びを、「信仰的」と信じて疑わないというのもその一つかもしれません。何歳でどの牧師から洗礼を受け、何年信仰生活をしているか、どこの教派・教団のどの教会に所属し、どんな奉仕をしている人かが立派なクリスチャンの指標で、祝された結婚生活やクリスチャン・ホームの保証であるかのように錯覚する弱さが私たちにはあるのかもしれません。

しかしそれらは、その人のある一面を表しているに過ぎず、内的成熟を示しているわけではありません。クリスチャンとしての良い条件が少しでも多く整っている人と結婚することが、幸せな結婚に結びつくという幻想は捨てなければならないのです。

不思議ですが、結婚して見えてくるようになるものは、互いの「心」です。ありふれた日常生活であっても、それを支えているのが、見えるものではなく、見えないものによることに気づかされるのです。現代は、「大人になること」が、若い人の目標になりにくい時代です。大人になることは損をするばかりでメリットはなく、子どもでいるほうが得だと思え、義務を果たすことの伴わない権利主張が強まる風潮がますます強くなっています。外見は大人であるのに、内面は子どものままという人が増えているのです。平均結婚年齢は上がっていますが、人間としての成熟度は下がっているのです。

結婚は、二人の共同生活です。一つ屋根の下で、何もかも共有して(食事もトイレもお風呂もベッドも)、至近距離で触れ合うようにして生活します。共に祈り、日曜日には共に礼拝に出席するのです。もしも心を一つにできなければ、「共に」生きることは、苦しみ以外の何ものでもありません。物理的には触れ合う生活をしながら、心は近寄れないほどに遠く隔たっているとするなら、その孤独感はどれほどでしょう。「成熟した人」を、人生のパートナーに選べるかどうか、それを見極める目を持った人間に自分が育っているかどうか、外面に惑わされずにその人の内側を見て、決断できるかどうかが、問われます。

自分の長所と短所、賜物を具体的に知っている人、自分に優しくできる人、自分の気持ちを、自分の言葉で表現できる人、人の話すことを理解してその気持ちを想像でき、共に喜んだり悲しんだり泣いたりできる人、他者を喜ばせることに喜びを感じ、その術を知っている人、待つことができる人、与えることを喜べる人、お先にどうぞと言える人、自分の非を認めて謝れる人、感謝できる人、人を赦せる人……、こんな人が成熟した人と言えるでしょうか。

一方、未熟な人は、いつも自分が優先します。そして自分についてはほとんど知りません。自分を知らない人に、他者を知りたいという欲求は出てきません。最大の関心が自分自身で、いつも周りからどう見られているか、どのように評価されているかが気がかりで、他者に関心を向ける余裕はないからです。話題の中心が自分で、褒められている(仮にお世辞であっても)時にのみ、安らいでいられる傾向を持っています。そうでない時は、ヒステリックな反応(暴力もその一つでしょう)しかできません。そのような未熟な人が、人生のパートナーになるなら、相手をおだて、ご機嫌を取ることが日々の務めとなり、信頼関係を築き上げる交わりは成立しません。未熟な人に向かって本心をさらけ出すことは、自殺行為になるので、心を明かせないからです。最もくつろげるはずの家庭団欒の時が、最も緊張の強いられる時となるなら、生き地獄を味わうようなものです。

私たちは若い時、自分に与えられた賜物にはなかなか気づくことができずに劣等感ばかりが膨らみ、他者に与えられた賜物に嫉妬して心が疲弊し、本来は賜物を磨くために与えられたエネルギーまでも使い果たして不毛な時をすごしてしまうことがあります。自分探しのために、いろいろなことに挑戦して周り道をするのと、不満をくすぶらせて殻に閉じこもり鬱々としているのでは、意味が違います。

クリスチャンであっても、神に愛されて自分が存在しているという事実を、心から受け止められるようになることは容易ではありません。あきらめでも居直りでもなく、「私は神が造ってくださった傑作作品なの」と心底思えるようになる時、負の部分に思えていたものさえも、神さまからの贈り物と気づいて、いとおしくなるのです。「自分が好き」と素直に言える自分とも和解した人こそ、一人の人と出会い、その人を受け入れる準備ができた人と言えるでしょう。(月刊「いのちのことば」2008年8月号掲載)

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