《スタンリー・ハワーワス氏が来日講演》“排他的ナショナリズム”へ着実な対応を

  • 2018/6/12
  • 《スタンリー・ハワーワス氏が来日講演》“排他的ナショナリズム”へ着実な対応を はコメントを受け付けていません。

第5回「北東アジアにおける和解のためのキリスト教フォーラム」

第5回「北東アジアにおける和解のためのキリスト教フォーラム」(デューク大学神学部主催)が京都府京都市の同志社大学今出川キャンパス、滋賀県大津市の同志社びわこリトリートセンターを会場に開催された(5月28〜6月2日)。日中韓米のプロテスタント、カトリックから神学者、牧師、神父、パラチャーチ指導者、運動家、ジャーナリスト、学生ら93人が集まった。テーマは「ナショナリズム」。その中でスタンリー・ハワーワス名誉教授(デューク大学)が公開講演を行った(5月29日)。デューク大学からは他にクリス・ライス博士(本フォーラム代表)、エドガルド・コロン=エメリック准教授(和解フォーラム所長)、スジン・パク准教授らが参加した。(レポート・藤原淳賀=青山学院大学教授)

「教会は教会となれ」

フォーラムの歩みは2012年12月にさかのぼる。デューク大学神学部・和解センターが「北東アジア・コンサルテーション」を開き、日中韓米から28人が招かれた。福音の中核としての和解、北東アジアの和解の必要について分かち合われた。その後韓国・京畿道(14年)、長崎・伊王島(15年)、香港・中文大学崇基学院(16年)、韓国・済州島(17年)でフォーラムは重ねられてきた。

このフォーラムの一つの特徴は1週間を共に過ごすことにある。学者たちが専門分野から講演をするだけでなく、毎朝を礼拝で始め、毎夕を礼拝で閉じる。共に食卓を囲み、語り、人格的関係を深める。テーマ別のセミナーを持ち、また実際の葛藤の現場を訪問し、その痛みと希望を具体的な歴史から考察する時(巡礼)を持つ。また中国本土、香港、台湾からの中国語圏の参加者が一同に介しているのも本フォーラムの特徴の一つである。

今回のフォーラムでは初めて途中で居を動かした。前半は京都市内でナショナリズムについて論じ、「巡礼」を行った。後半は琵琶湖ので静かに考察した。

初日の夜は、パウロ大塚喜直カトリック京都司教の歓迎の挨拶と夕食会で始まった。京都のキリスト教の歴史について、また開国後もキリスト教禁教が解けない日本のためにお祈りくださるようにとフランスから送られ、京都を見下ろす山に埋められた「都の聖母マリア像」について語られた。同志社では深田未来生名誉教授が歓迎の挨拶と同志社の歴史について語られた。

2日目の午後は同志社礼拝堂で3時間にわたってハワーワス教授の講演会と日中韓の学者による応答とパネル・ディスカッションが行われた(「高まるナショナリズムとキリスト者の責任」)。韓国からセオンウック・キム教授(崇実大学)、中国からシー・リアン教授(デューク大学)、日本から藤原淳賀教授(青山学院大学)が発題した。約200人の参加があり、活発な議論が交わされた。

ハワーワス教授の講演は謙虚さに満ちたものであり、バルトの「正直な無知」を引用して、自分のように外にいる者が北東アジアの現状にいかに対処すべきかを語るのは不適切であると語った。戦時中の厳しいナチス批判に比べて、バルトの戦後の共産主義批判は緩やかであった。はっきりとした状況がわからず、いかに対処すべきかがわからない時、謙虚に無知を認めなければならない。アジアの教会はまだ若い。くれぐれも性急にならず、長期的に政治的状況も考え、キリスト教が守られるような機構、学校、団体、制度を作り、聖霊の働きを待ち望むようにと語った。非キリスト者とも共に働き、徳を高める生き方をし、理念的にならず、地に足の着いた対応をするようにとのことであった。

ハワーワス教授の神学を一言で語るなら「教会は教会とならなければならない」ということに尽きる。それは香港の民主化運動(アンブレラ・ムーブメント)にも影響を与えていた。「アメリカの最も優れた神学者」(タイム誌)としての自身の影響力、中国本土のキリスト教弾圧が厳しさを増していることを考慮してのことだと思うが、以前の激しいハワーワス教授を知る者にとっては驚くような穏やかな円熟した言葉であった。

パネルからの応答では、各国のキリスト教が自国のナショナリズムに敏感であることの必要性(預言者的)と自らの国と文化を愛すること(祭司的)の両方を持ち、国境を超えた神の国の市民としてのキリスト教的アイデンティティーを持ち、排他的ナショナリズムを超えたキリスト教的連帯を持つことの重要性について論じられた。ハワーワス教授もそれを支持した。

フォーラム参加者たちは、一般公開した3時間のアカデミックな講演会での対話だけではなく、1週間にわたる対話と礼拝、食事の交わりの中で互いに対する理解と議論を深めた。

“痛み”に出会う積み重ね

巡礼としての現地訪問では、日本のナショナリズムの象徴としての天皇、御所についての説明の後、二条城を訪問した。徳川家康の将軍宣下の祝賀の儀が行われ、江戸幕府が終わる大政奉還が行われた、日本の権力の象徴的な場である。中心があるところ、周辺がある。その後、在日韓国人を中心とする老人ホーム「故郷の家」と、地域福祉センター「希望の家」(カトリック京都司教区カリタス会)を訪問した。故郷の家では韓国人と日本人が約半数ずつ共に暮らしている。希望の家では、在日の方々を含めて、多文化交流ネットワーク促進事業、困難な生活を強いられている方や、生きづらさを感じている方へのケアを行っている。またこの近くには日本人の被差別の地域もある。

最後にカトリック京都教区カテドラルを訪問し、上記「都の聖母マリア像」の安置された地下礼拝堂と、大礼拝堂、また京都での52人の殉教者を記念する殉教者の間で祈りをげた。また長崎の26聖人殉教の旅が京都から始まったことも語られた。

京都という日本文化の中心地で歴史と痛みを肌で感じながら、ナショナリズムと神の民として平和を作り出し共に生きることを考えた。そして京都を後にして琵琶湖へと向かい考察の後半を共に過ごした。

最後に、南京からの参加者の分かち合いを記しておきたい。この婦人は今回が初めての訪日で、無意識のうちに子どもたちに「もし日本で何かあった時のために」と銀行口座等について告げてきたという。南京大虐殺のことが心のどこかにあり、ひょっとしたら日本で襲われるかもしれないという思いがあったという。今回、日本に触れ、親切にしていただき、癒しを経験したと言われた。

このフォーラムはそういうところからのスタートだった。第1回のフォーラムでは、長崎の原爆の苦しみを被爆二世の方が語った。香港からの参加者は「原爆投下は喜ばしい知らせだった。われわれは大いに喜んだ。その苦難について聞いたのは今日が初めてだ」と語った。これらは無知な人々ではなく、欧米で博士号を取ってきたような方々である。フォーラムはこのような積み重ねを行ってきた。日中韓米のキリスト者の信頼の連帯が出来上がりつつある。来年は、韓国・済州島で第6回フォーラムを行う。(クリスチャン新聞2018年6月17号より)

関連記事

コメントは利用できません。

ページ上部へ戻る