《教理を学ぼう!》 第2回“祈り”ってなんですか?

クリスチャンは神との交わりに生きる

そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。』」(ルカの福音書11章2―4節)。

 神が私たちを創造し、そして私たちを救ったのは、私たちが神ご自身と交わりを持つためであった。この交わりこそ祈りである。神は聖書に書かれていることを通して私たちに語り、聖霊は聖書に書かれていることを明らかにし、私たちに当てはめ、私たちが聖書をよく理解できるようにしてくださる。その上で私たちも、神ご自身について、自分自身について、そして神がお造りになった世界に住む人々について神に語りかける。私たちが神に語りかけることは、神がお語りになったことに対する私たちの応答として表現される。このような双方向で特別な会話は、私たちが地上に生きる限り続くものである。
 聖書は祈りを、神の民ひとりひとりが個人的にも、そして互いに仲間同士でも実践すべき四重の活動として教え、実際にそのように描いている(マタイ6・5―8、使徒1・14、4・24)。礼拝と賛美が言い表される。悔い改めの心をもって罪が告白され、罪の赦しが求められる。与えられた良きものに対する感謝がささげられる。そして私たち自身と他の人に対する願いと懇願がなされる。主の祈りでは礼拝と願いと罪の告白が具体的な祈りとなっている(マタイ6・9―13、ルカ11・2―4)。詩篇は祈りの四つの要素すべての模範から構成されている。
 願いの祈りにおいて、謙遜に祈っている者は自分の必要を認め、なおかつその必要を神の主権的な知恵といつくしみの富によって満たされるため、自分自身が神に対して全面的に依存していることを言い表す。願いの祈りは聖書の中でいつでも最も強調されている祈りの側面である(たとえば、創世記18・16―33、出エジプト32・31~33・17、エズラ9・5―15……)。(「27 祈り」より※『聖書教理がわかる94章』からの抜粋になります。)

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