《時代を見る眼》愛ある者として―犯罪心理から

新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授/博士(心理学) 碓井真史

 
 犯罪心理学者の小田晋は、殺人に対する最大の抑止力は宗教だと述べています。殺人者の多くは、自分が受ける刑罰を事前に予想などしませんし、自殺志願者もいます。自分が死んでも罪を犯しても、悲しんでくれる人はいないし、自分なんかどうなっても良いと思いこんでいる、そんな犯罪者には死刑の存在もたいした抑止力にはなりません。

 では、恐ろしいばちを当てる「神」なら、殺人を止められるでしょうか。たぶん、無理でしょう。法律による刑罰も「神」が与える罰も、考えなかったり、無視したりする犯罪者たちがいるからです。そんな彼らを止められるのは、愛の神です。

 刑罰によって減少する犯罪もあります。しかし、一般的に犯罪を抑えるために必要となるのは、「社会との絆」です。それは、自分が社会とつながっているという実感です。社会から必要とされ、社会を必要とし、愛する人がいて、愛してくれる人がいることです。

 悪いことをする人に対して、もっと人のことも考えろ、思いやりを持てという人がいます。しかし、愛されていなくては、人を愛することはできません。特に非行は、愛を求める心のSOSです。調査によれば、少年院入所者の半数が、何らかの虐待を経験しています。彼らは、猛烈に愛を求めているのに、その表現がどうしようもなく不器用なのです。言葉で表現できず、非行という行動化(アクティングアウト)を起こしてしまいます。

 小さな子どもに善悪を教えるためには、賞罰も必要です。愛は単なる甘やかしではありません。しかしいつまでも賞罰に左右されるだけではいけません。非行少年たちは、他の少年以上に罰を避けようとはしています。罰があるからという理由ではなく、それが悪いことだからしないと考えられなくてはならないのです。悪の誘惑に勝つために必要なのは、愛されている実感です。人は愛のもとでこそ我慢もできるし、愛されれば、愛を返すのです。

 そうはいっても、心に傷を持ち、悪の魅力に惹かれている人間は、そう簡単には愛を返してはくれません。優しくしてくれた人に最初に向けてくるのは、激しい攻撃心かもしれません。それでも、愛を与え続けることができればと思います。神の愛を知っている者として。主にあって愛を与えられている者として。(月刊「いのちのことば」2001年11月号掲載)

月刊「いのちのことば」

 

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