《特集》西郷隆盛と聖書② “敬天愛人”に込めた西郷の思い

  • 2018/6/28
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天を敬い、人を愛した人生

西郷隆盛の書より

西郷隆盛の座右の銘として有名な「敬天愛人」。天を畏れ敬い、人を慈しみ愛することを指すこのことばを、彼はどのような思いで用いたのか。

『西郷隆盛と聖書』(守部喜雅著)より抜粋>

「敬天愛人」という言葉は、西郷が生み出した言葉ではありません。その証拠に、その「敬天愛人」という書のサインは、南洲書となっているのです。西郷が自らの詩や人生訓を書にするとき、サインは南洲とだけ記されています。

……「敬天愛人」という言葉が、歴史上に現れたのは、18世紀の中国、清の時代に遡ります。当時、清の康熙帝(1661~1722)は、中国に進出していたイエズス会とドミニコ会、フランシスコ会という三つの宣教団体の、どれを、中国で認めるか悩んでいました。イエズス会は中国に最も早く進出した宣教団体で、中国古来の祭礼や祖先崇拝を認めてきました。一方、ドミニコ会とフランシスコ会は、そのようなイエズス会の教えは、カトリックの教えに反すると非難、ローマ教皇もイエズス会を非としたことから、康熙帝はローマ教皇と対立、結局、イエズス会だけが中国で伝道が認められ、康熙帝は、その認定のしるしとして、イエズス会の教会堂に飾る額に「敬天愛人」の文字を刻し贈呈したのです。

……以上の史実は、西郷の知らぬ出来事でしたが、明治になり、英国留学から帰ってきた中村正直が、英国の牧師で思想家のサムエル・スマイルズの『自助論』を翻訳し、『西国立志編』として出版、その本の中に、「敬天愛人」という言葉が登場するのです。

中村正直は、キリスト教精神を要約した言葉として「敬天愛人」を使いました。英国でキリスト教の影響を受けた中村正直は、後に、自ら、キリスト教の洗礼を受け、明治天皇にも洗礼を受けることを勧めた人物です。

……西郷は中村正直とは友人関係でしたから、英国留学を終えた正直に西欧事情やキリスト教について詳しく聞いたに違いありません。おそらく、当時、すでに、西郷は、漢訳(中国語)聖書を読んでいたことが明らかになっていますから、自らが信奉していた陽明学を超えた真理が、キリスト教にはあると感じ取ったのかも知れません。

「敬天愛人」の天は、儒教で説く人間を超越した力とか法といったものではなくキリスト教の正典である聖書が説く、絶対者なる創造の神を指しています。その神は、日本の古来からある神々ではなく、人間を造られた神は、人間を愛される神であり、人間に語り掛けられる神でもあります。内村鑑三は、西郷の「敬天愛人」の教えには、明らかに、人間に語り掛けられる人格を持たれた神の認識があることに驚きを隠していません。陽明学という道しるべによって、人生を歩んでいた西郷は、聖書の真理と出合うことによって、それまで、漠然としていた「天」というものの実態がハッキリしたのでしょう。それまで、知識として理解していた「天」が、西郷の前に、信仰の対象として現れたのです。

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