《社会》なぜオウムにひかれたのか?

なぜオウムにひかれたのか?

日本の犯罪史上例のない宗教団体によるテロ

サリン事件などで死者27人を出し殺人罪などに問われたオウム真理教元代表・松本智津夫=麻原彰晃=被告(48)に対し、東京地裁は2004年2月27日、求刑通り死刑判決を言い渡した。日本の犯罪史上例のない宗教団体によるテロは大きな衝撃を与え、様々な議論を巻き起こした。既成宗教では若者が減る中でなぜオウムに多くの若者が引きつけられるのか、信教の自由とカルトの破壊的活動の規制、「ハルマゲドン」など聖書の用語を使った破滅的な終末論など、キリスト者にも見過ごせない問いを投げかけた。NCC(日本キリスト教協議会)宗教問題研究所と富坂キリスト教センターは3年間にわたる共同研究をまとめ、同日付で論集『あなたはどんな修行をしたのですか? オウムからの問い、オウムへの問い』(新教出版社)を出版した。

この本では、精神医学者、ジャーナリスト、仏教心理学者、牧師、宗教学者、弁護士、インド哲学者、神学者、東洋学者など、日本人のほかロシア人、ドイツ人も交え12人が論じている。

幸日出男・NCC宗教問題研究所所長によると、かつて新宗教に入るのは貧しい人だと言われたが、飽食の時代で物があふれている中でふと感じるものたりなさから人生の意味や目的を考えるようになる青年たちに、既成の宗教は答えを用意していないか、正しく提示できないでいる。オウムの修行は物のあふれた生活の中に見いだしえなかった「意味」がそこにあるように感じ取られたようだ、と幸氏は見る。

マインド・コントロールをいかにして解くか

信教の自由については「公権力が手をつけることはできない」ことを明確にし、法による規制ではなく市民的批判の道が大切であると説く。そして脱会者をケアするネットワークの必要性を訴え、信者全員を「犯罪者」と同一視してはならないとして、マインド・コントロールをいかにして解くかに論を進める。

「社会は、オウムの会員たちを被害者としてみるように努めなければならない」が、この被害者は「自分が麻原教祖の被害者だということを自覚するのでなければならない」。この点で幸氏は、かつての「大日本帝国」を天皇絶対という一種の「宗教」にマインド・コントロールされていた閉鎖集団と位置づけ、「第二次大戦後の日本において、自分たちがだれのために被害者となったのかということがあいまいなままにされた。そのことがいまだに尾をひいている」と指摘した。

中部学院大学短期大学部宗教主事の志村真氏は、オウム信者の家族の悩みに対する牧会カウンセリングの実践を報告した。オウム事件を機に、どこへ相談していいか分からないオウム信者の家族から、キリスト教会の牧師に相談が持ち込まれることが多くなった。教義の背景が仏教であるオウムの場合、「牧師と仏教の僧侶が連帯して関わりを持ち、心理療法家や法律家とも連帯してきたことのエキュメニカルな意義は、世界的に見てもまれ」であり、統一協会関係の相談を数多く受けていた牧師たちの経験的知見が生かされた、と志村氏は述べる。

報道や周囲からの非難を受け、人間不信に陥っている

オウムという大事件を起こした団体に自分たちの家族が入っていることを知った人々の心の状況は「悲嘆反応」「喪失体験」。さらに親たちは報道や周囲からの非難を受け、人間不信に陥っている。志村氏は「本人のみならず、その家族たちも『脱会後』の精神的・心理的支援が必要」と指摘する。そして、そのような家族との「出会いを用意され、同行を導かれた方が背後におられると信じる」と告白している。

西南学院大学神学部教授の寺園喜基氏は、オウムの終末論を神学の視点から論じた。オウムの原点は脱現世的な瞑想修行であり、麻原が語る理想郷は、世直し論から世界の滅亡預言、オウムによる世界の救済の必要へと自己絶対化してゆく。これに対して聖書の終末論は、事物の終わりのみでなく万物の新創造を語る。寺園氏は「キリスト教の終末論は十字架につけられたキリストのよみがえりを想起する希望である。…終末は希望なき大破局へと解消されるべきではない」と注意を促した。オウム事件が投げかけた重い問いを受け止め、教会・キリスト者としての答えを模索するとき、この本は問題の整理と思索の助けとなろう。
【クリスチャン新聞2004年3月14日】

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