《福祉を通して地域に福音を》神さまからの最後の問いかけ

神さまからの最後の問いかけ

ホッとスペース中原 代表 佐々木 炎

上田光夫さん(仮名)は80代で要介護3、70代の奥様と2人暮らしでした。上田さんはかつて戦後の日本を背負ってきた有能な企業戦士でした。75歳のとき胃がんと診断され、胃をほとんど切除しました。一命はとりとめましたが、日常生活で介助が必要となり、3年前から私たちが教会を拠点に行っている訪問介護を利用するようになりました。

上田さんは豊かな教養とユニークな個性をもち、とてもプライドの高い人でした。オムツをつけることを長く拒み、できる限りトイレで用を足したいと奥様と共にがんばっていました。しかし日ごとに身体機能が落ち、トイレに座ることも困難になって、食事、入浴、着替え……、すべてにおいて介助がなければ生きていけなくなりました。

ある日の夜、上田さんはひとりベッドの上で「ちきしょう! ちきしょう!」と何度も叫び、情けない自分の姿に泣きくずれました。奥様は言葉もかけられず、布団の中で唇をかみ、息を殺して嗚咽することしかできませんでした。私は時折、神さまの話を上田さんにしていて、彼も信仰の告白をしていました。この叫びは、どうしようもない自分を神さまに明け渡す分岐点のように、私には思えました。

その翌々日、上田さんは息を引き取りました。奥様は光夫さんの体温が下がるなか「寒いとかわいそうだ」と言って、ほおとほおを合わせて温めました。次第に冷たくなり、鼻からの息が小さくなり、呼吸が止まって静かに安らかに息を引き取りました。その間際に、奥様は光夫さんの遺言の中に書かれていた言葉を思い出したそうです。

「向こうの世界に行っても、君と結婚して、いつまでも一緒に暮らそう」

人はだれも平等に死が与えられ、この世から消えていきます。作家の村上春樹さんが、「エルサレム賞」という文学賞を受賞したとき、個人を卵に例えて「人は壁にぶつかって壊れるもろい卵である」とスピーチしました。彼は私たち人間のいのちは、はかない存在だと語ったのです。

どんなに立派な肩書きや能力があり、強靭な肉体や精神力をもっていても、死はすべてのものを奪います。仕事も、家族も、愛する人も、幸福も、喜びも、楽しみも……、そして自分自身をも。私たちは死の前で、どうしようもなく無力に立ちすくみ、ふさぎこむしかないのでしょうか。

私は上田さんが、そうではないと教えている気がします。死は無意味なことではなく、神さまがすべての人に平等に、最後に与えている恵みだと。上田さんは胃がんになった後に遺言書を書きました。死ぬことを自覚したからこそ、自分にとって本当に大切なものは何かということを考えたのです。それは「永遠」への第一歩でした。

私たちは死を自覚すると、上田さんのように本当に大切なものを探して今の生活をふるいに掛けます。そうすると、自分にとっての宝物が見えてくるのです。反対に死を考えないと宝を見失い、本当は大切ではないことに命を擦り減らしてしまいがちです。そして死後に何の希望もないまま死を迎えてしまうのです。

しかし、上田さんは、死というものは、ひとりで対決するものではないこと、そして奥様や神さまという愛する存在とつながることで新しい世界が開け、死の先にある永遠という高い次元へ導かれるという希望を得ました。死を恵みに変えるための大切な一点が、ここにあることを上田さんは教えてくれました。

「雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です」(ルカの福音書12章6~7節)

私たち一人ひとりの命は、たとえどんなにはかなくても、髪の毛一本まで神さまに知り尽くされ、愛されています。命は究極的に、この大きな愛の方である神さまの手にあるのです。死を前にして自分の命を考え、誰に私たちは支えられて生きているのかを知ることができるのです。

光夫さんは死と向き合い、神さまの愛を知り、天国を信じ、そして再び奥様と出会うという永遠の希望が与えられました。だからこそ、素敵な最期を迎えることができたのです。

今この国では、光夫さんのように神さまからの最後の問いかけである死を感じつつも、答えを一緒に探してくれる人がいなくて困っている人がたくさんいます。

「あなたのいのちは誰に支えられていますか」

この神さまからの問いへの答えを知っているクリスチャンには人と関わること、死を共有すること、そこから共に学ぶことが神さまから求められていると強く感じています。(月刊「いのちのことば」2009年6月号掲載)

月刊「いのちのことば」

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