《N.T.ライトの神学》7 新創造を理解する新しい認識論

第1章 新創造を理解する新しい認識論

中澤啓介(大野キリスト教会 宣教牧師)

6 信仰と希望と愛の認識論

理性は最も人間らしい特質で、他の被造物にはない特別な能力です。それは人間が造られた「神のかたち」の一部であると同時に、堕落によって傷つけられています。しかし、イエスによる贖いのプランはクリスチャンの全人格に及びます。贖われたクリスチャンの理性は、信仰にとって有益です。しかし、信じることをすべて命題的に把握でき弁証できるのかというと、そうではありません。聖書はそのような目的で書かれてはいません。福音派の神学では、命題が指し示している事柄より命題そのものが問題にされ、
 そこに焦点があてられる傾向があります。しかも、すべての教理的体系を「信じたら天国に行ける」という枠組みでまとめてしまうことには、大きな危険があります。
 クリスチャンが、自分の体験や感覚、感情などを信仰理解のために大切にするのは当然です。「神のかたち」の中には、それらも含まれます。音楽、絵画、芸術などを通して神体験が深められていくことは間違いありません。霊的賜物、超自然的・神秘的な洞察力や証しは、神への信頼を深め、信仰を自らの内に内実化させ、互いの交わりを促進させ、共同体を励まし育てていきます。これらのことは理性中心主義に陥っていく間違いは避けさせてくれますが、同時に、独りよがりになり独断的になっていく危険性に注意を払わねばなりません。
 私たちは、神が聖書を通して語りかけている「新創造の世界」を見なければなりません。この新創造は、イエスの復活の出来事を起点として始まりました。イエスの復活は、
「公共の世界(一般の人々の世界)」では奇妙な出来事に映るでしょう。無神論を前提とする現代科学や歴史のような疑似科学によっては認識できない、理解不能な事件です。
それゆえ懐疑論者は、イースターの朝の出来事を単なる主観主義の問題へと還元してしまいます。しかしそれは、主観的な世界の出来事でもありません。客観的でも主観的でもない第三の認識論によって近づく必要があります。イエスを「主」と告白し、新創造を理解する新しい認識論です。これまでの認識論で神を知ろうとするのは、ろうそくの光で太陽が照っているかどうかを確かめようとするようなものです。そのような愚かなことは、即刻やめた方がよいでしょう。
 イエスの復活は、新創造を特徴づける全く新しい出来事です。従って、信仰と希望と愛とに基づく「新しい認識論」によって近づく必要があります。この認識論は、「信仰の認識論」とも、「希望の認識論」とも、「愛の認識論」とも呼ぶことができます。「信仰の認識論」の代表的な例としてトマスを挙げることができます。トマスは、自分がもつ古い世界観ではイエスの復活を受けとめることができませんでした(ヨハネ20・24~25)。復活のイエスに出会い、初めて「私の神。私の主」(28節)とひれ伏したのです。そのトマスに、イエスは「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」と言われました(29節)。私は、イエスのこの言葉を「トマスのチャレンジ」と名づけています。トマスに求められたことは、反歴史主義や反科学主義ではなく、それを大きく超えたものでした。
 トマスが「信仰の認識論」の代表者であるなら、「希望の認識論」を展開したのはパウロです。コリント人への手紙第一15章の前半でパウロは、キリスト者とは「キリストに単なる希望を置いている」人たちではないと断言します(19節)。そして後半で、キリスト者が終末において復活のからだにあずかる「希望」を詳しく論じます(35〜49節)。新創造の世界は、イエスの復活によって始まりました。パウロは終末の新しい創造に対する希望をもつことによって、イエスの復活を理解できることを示しました。
 「愛の認識論」を教えている人物はペテロです。ヨハネの福音書21章において、復活されたイエスはペテロに、「あなたはわたしを愛するか」と3度尋ねました(15、16、17節)。ペテロは、「私があなたを愛することは、あなたがご存知です」と3度答えます(15、16、17節)。イエスを愛することなくしては、イエスの復活も新創造の世界も、謎のままで終わってしまうことでしょう。
 「信仰」と「希望」と「愛」の3つは、いつまでも続きます(Ⅰコリント13・13)。イエスの復活から始まる「新創造の世界」は、「信仰の認識論」、「希望の認識論」、「愛の認識論」をもって近づくとき、切り開かれていくのです。(本稿は筆者によるライトの主張の要約)〈8に続く〉(クリスチャン新聞連載)

 

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私は、高校1年のときに、人は何のために生きているのだろうという疑問をもち、キリスト教会を訪ねた。そこで、聖書を読み、神を信じるようになった。以来、神は私のどんな問題でも解決してくださることを経験してきた。そのような体験から、何か他の人の役に立ちたいと思うようになり、牧師になった。あなたが、どのような問題をもっていても、一人で悩んで、閉じこもってしまわないでほしい。問題を解決してくださる神を知ってほしい。どうぞ、遠慮なく声をおかけください。あなたの人生がすばらしい歩みになるようにと、お手伝いさせていただければ嬉しく思う。
1942年生まれ。大学では哲学専攻。家族は妻のみ。二人の子どもは結婚して、孫も二人。

 

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