《社会》「オウム事件」からの投げかけ

マインドコントロールの影響を、どう評価するか

特別な人間ではなく誰にでも起こり得る

2004年2月、オウム真理教を主宰していた松本智津夫被告に死刑判決が言い渡されたのを始め、サリン散布の実行役の信徒におおむね死刑、補佐役の信徒には無期懲役の司法判断が出た。裁判で問題になったのは、信徒が教祖の言いなりにされてしまう精神的メカニズムとしてのマインドコントロールの影響を、どう評価するかということだった。オウム真理教自体は仏教をベースにしていたが、裁判ではマインドコントロールの理解について、従前から統一教会(世界基督教統一神霊協会)などカルト問題に取り組んできたキリスト教関係者のノウハウが活用された。弁護団は、信徒たちがマインドコントロールによって殺人まで追い込まれた構造を立証し、殺人を命じた松本被告と命じられた信徒たちとの責任の重さの違いを主張した。だが、判決を見る限り、マインドコントロールの実態は量刑の判断にはあまり反映されていないというのが、信徒被告側弁護団の感触だ。

2004年2月に「オウム真理教と信徒の責任」をテーマにオウム真理教家族の会が主催したシンポジウムで、弁護側証人の宗教学者・浅見定雄氏は、「絶対命令者である麻原とその呪縛(マインドコントロール)の被害者という側面を持つ実行者とが同じ死刑では納得ができない」と述べている。

シンポジウムで考えさせられるのは、サリン散布を実行した信徒たちはたまたま松本被告からその役目を指名されたから殺人を犯したのであり、運搬役はたまたまそう命じられた運搬役をしたに過ぎないという指摘だ。オウム信者のカウンセリングにかかわってきたマインドコントロール研究所のパスカル・ズィヴィ氏は、殺人を犯したのは特別な人間ではなく誰にでも起こり得ることであると強調し、マインドコントロールの恐ろしさを警告している。

新たな「オウム」の被害者はなくならない

そして、この警鐘はキリスト教会にとっても「対岸の火事」ではあり得ない。オウムにせよ統一教会にせよ、人格を変ぼうさせ、反社会的な行動に駆り立てる破壊的カルトに取り込まれるのは総じて、まじめに真理を求めていた青年たちである。たまたまオウムに出合ったから殺人犯になったが、キリストの福音に出合っていたら人生は全く違ったはずだ。

カルトの問題が表面化すると、世論はたいがい「あんな危険な宗教は法律で取り締まり、つぶしてしまえ」と反応する。しかし、ひとつの「オウム」をつぶしても、それに代わる新たな「オウム」の被害者はなくならない。その意味でこれは、すぐれて宣教の課題でもあるといえる。【クリスチャン新聞2005年3月20日「オピニオン~編集部から~」】

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