この町この教会 高松新生教会を訪ねて

  • 2017/12/29
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この町この教会 高松新生教会を訪ねて

見はるかす田園が広がる四国路を高速バスに揺られ、高松市を訪れた。本州と四国を結ぶ大橋ができる前は、宇高連絡船が就航し、四国の玄関口だった高松には、四国の代表的機関や大企業の支社・支店が多く置かれ、四国の経済の拠点となってきた。県の人口百万人のうち四十二万人が集中する。
しかし、産業の発展で肥大した新興都市とは異なり、町には歴史と文化の香りが漂う。その象徴は市街の南西部に位置する広大な栗林公園の佇まいだろう。江戸前期、高松藩主松平家の別邸として造営された日本庭園で、面積は七十五ヘクタール。国の特別名勝に指定された庭園では全国最大である。

その栗林公園の山裾に広がる住宅地に高松新生教会があった。こぼれる笑顔で迎えてくださったのは小野淳子牧師。神戸から赴任して来て八年になる。「初めて教会の方にご挨拶した時、『こんな田舎までよく来てくださって…』と言われびっくりしました」。神戸の神学校で女子寮舎監を務めながら牧会していた頃と比べ、地元に溶け込み、好きな料理や写真を楽しむ時間もでき、一層生き生きしているようす。
教会のスタートは戦後まもない一九四九年、岡山県玉野市の二人の信徒が連絡船で高松に通い、路傍伝道を行ったことに始まる。その二年後に牧師を招き、高松新生教会が設立された。以来六十六年、四人の牧師に継がれて今日を迎えている。その間、十三名の献身者が誕生し、三つの自立教会を生みだしたことは特筆に値しよう。しかし他方で、教師と一部信徒の離脱や教勢の落ち込みといった艱難期も通った。五十周年記念誌『坂をのぼって』の中で、「新生教会の歩みは、主イエスの恵みと代々の信徒の方々が忠実に礼拝を守り、牧師とその働きを支えたことが、困難の中にも一貫してあった姿勢だった」と歴代牧師の一人、唐渡弘牧師は述べている。

四国八十八ヶ所の霊場で知られるように、この地は仏教の根強い土地柄である。そうした地ならではの証しを小野牧師は語ってくださった。
「八十五ヶ所めの札所でお店を営む家に嫁いだ信徒の方がいて、職業柄なかなか礼拝に来られませんでした。ところが三年前、ご主人ががんに倒れて、いよいよ最期という時祈りが聞かれ、病床で信仰告白し、洗礼に導かれたのです。その後、その方も娘さんも、祖父の洗礼式を通してキリストを信じたお孫さんも礼拝にいらしています」


小野牧師自身も鮮やかな救いと献身を体験した。美術の教師になろうと大学で学んでいた二十歳の時、キリスト教の集会に誘われ、その帰り道、奇しい神の霊の働きで、心の目が開かれ、大きなお方に愛されている自分がわかり、このお方の愛を知るために教会に行くことを決心。半年後、生まれて初めての祈りが悔い改めの祈りだった。さらにそのひと月後、「(キリストは)自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」(ピリピ2・8)のみことばとともに、生涯を神にささげた。

現在、教会には五十~六十名が集う。創立七十周年を控え、牧師も信徒も、いつか新会堂を与えられたい、という大きな夢を抱いている。    (鴻海 誠)

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