《しあわせな看取り》第11回レストハウス

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レストハウス

惠泉マリア訪問看護ステーション所長 岸本みくに

住み慣れた我が家での看取りをサポートする訪問看護ステーションとして、私たちのステーションは地域で認識されています。地域の方々だけでなく、教会の仲間たちをも看取る中で、私たちは看取りの場所がほしいと思うようになりました。それがレストハウスの始まりです。

家庭で最期を迎えたいと願っても、高齢者世帯であったり、家族がいても介護力が不足したりする場合など、自宅での生活が難しくなります。そのような方々のために、家庭に代わる場所として2010年にレストハウスがオープンしました。看護師たちでデザインした「天国への希望を紡ぐ家」です。

ここには、ホスピスルームが二部屋あります。ご家族も一緒に宿泊できるゆったりした間取りです。私たちのステーションもこの建物の中にあります。広いホールではコンサートや講演会が開かれ、葬儀もします。

今まで、末期がんの方々を受け入れてきましたが、最近ではがんでない方々(慢性の呼吸器疾患や老衰など)の依頼も増えています。するとここで不思議なことが起こっています。衰弱して、レストハウスで最期を看取ってほしいと搬送されてきた高齢の方々が、レストハウスの温かい空気の中で元気を取り戻すのです。看取りの場が、命を吹き返す場になっているのです。

ミヨさん(仮名)は当時99歳。グループホームに入っておられましたが、気管支が弱く、肺炎を起こしては何度か入退院を繰り返していました。私とはグループホーム入居前からのお付き合いです。ご自宅に訪問看護に伺っていた頃は、私のためにお茶を用意して、きちんと正座していつも迎えてくださる筋金入りの明治女性でした。具合が悪くて起き上がれない日は、そんな姿を見せては失礼だと思うらしく、「今日は具合が悪いので訪問看護をお休みさせてください」と連絡が入るような方でした。そんなミヨさんも次第に車椅子生活になり、グループホームに入居されました。

何度目かに肺炎で入院した時に主治医が言いました。「もうじき100歳になろうとするこの方を毎回救急入院させて、一体どうしてほしいのですか? グループホームでは看取れないのですか?」

ミヨさんのグループホームでは看取りはできません。それで娘さんと相談してレストハウスにお連れすることになりました。ここだと、私たち看護師が同じ建物にいますし、訪問診療してくださる医師の指示のもとに抗生剤の点滴もできます。ヘルパーに抱きかかえられてベッドに寝かせられたミヨさんは、窓から見える畑の風景をすっかり気に入りました。2、3日するとベッドに寝たまま手足を動かして体操をするようになり、起きて食事を自分で摂り、飲み込みやすいようにと全て軟らかくとろみを付けていた食事からいつしか普通食を召し上がるようになりました。おむつをしないでポータブルトイレを使えるようになり、車椅子で屋外を散歩することも始めました。

とはいえ、やはりうとうとと眠ってすごされることが多く、私の眼には99歳の年齢では当然の状態と思えました。ところが担当の看護師は、ミヨさんが他者の役に立つことで生き甲斐を見出せるような作業を計画して、生活の活性化を図りたいと言うのです。

彼女はその年豊作だった黒千石豆をミヨさんの部屋に持ち込みました。子どもの頃から農業に親しんできたミヨさんは、豆のさやはずしから選別まで熟練した手つきで作業を始めました。最初はベッドの上で横になったままで、それから次第に車椅子に座って、ついにはリビングに出てきて作業をするようになりました。しかもすごい集中力です。寝る時間になると、翌日の作業の段取りをしてから眠ります。もう退院当時の弱々しいミヨさんの面影はありません。私が自宅まで訪問していた当時の凛とした老婦人です。

町長の訪問で100歳の誕生日を祝い、さらに101歳の誕生日も迎え、その翌日に静かに召されました。レストハウスで2年半を過ごされたことになります。ミヨさんを送り出した病院の医師がレストハウスに来られた際、ミヨさんに会っていただいたのですが、「正直なところ、あのとき1か月ぐらいしかもたないだろうと思っていました」と驚かれました。

ところで、ミヨさんを元気にしたあの黒千石はどこで手に入れたと思われますか? 実は、私たちは農業も手伝っており、私たちが参加して育てた豆なのです。ここは百姓もやる変わった訪問看護ステーションなのです。(月刊「いのちのことば」2016年5月号掲載)

月刊「いのちのことば」

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