《つい人に話したくなる聖書考古学》第3回 家は洞穴!? 飼葉おけは石!?

宣教・神学・教育

< 第2回へ第4回へ >

 

慶應義塾大学文学部教授
新生キリスト教会連合(宗)町田クリスチャンセンター牧師

杉本智俊

Q マリヤとヨセフが旅先で間借りし、イエスが生まれた場所は、どのような場所だったのでしょう。

「……マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(ルカの福音書2・7)
ここに「飼葉おけに寝かせた」とあります。そのため、「家畜小屋」だった、と言われることが多いのですが、実は当時のイスラエルでは、家の中でも家畜を飼うことがよくあったようです。かつては、日本の農家なども土間で家畜を飼っていた時代がありますね。つまり、家の中に飼葉おけが置いてあったとしても、そこまで不自然ではありません。石造りの立派な家の中に、飼葉おけが置かれていた跡も発見されているんです。
動物は、住居の玄関先や「離れ」で飼われていたようです。もちろん旅先での出産や、親族の助けなしで産むことは一般的ではありませんでしたが、人間と家畜との距離が、現代の私たちがイメージするよりもずっと近かったことは確かです。もっと後の時代、ビザンツ帝国時代(4世紀末~)以降には、「ハーン」という隊商宿が一般化しますが、これは中庭を囲んだロの字型の建物で、1階に動物、2階には人が泊まれるような構造になっていました。
ちなみに、イエスが寝かされたというこの“飼葉おけ”はおそらく石製です。日本は木の文化ですから、飼葉おけも木製のイメージが強く、そう思い込んでいる方も多いと多いと思います。レンガでも造れますが、たいていは長方形の石をくりぬいて作られました。大きさの目安は、縦7、80センチ、横30センチ、高さ7、80センチぐらいでしょうか。くりぬいたところに餌をいれると、ちょうどいい大きさです。1度運び込んで据えたら、そこから動かすことはなかったと思われます。

Q 「貧しい馬小屋」ともよく言われますが……。

イエスの生まれた場所として“ベツレヘムの馬小屋”という表現もよく見られますが、これは誤りです。飼っていた動物が馬ということは考えられません。当時、馬は軍隊用、戦争の道具でした。王様など、かなり地位の高い人しか持てなかったのです。一般家庭には、羊ややぎがよくいましたが、飼い葉おけを使う動物であれば、荷役用のロバの可能性が1番高いかもしれません。
また“小屋”という表現から、木造の平屋が描かれることも多いですが、これも違います。そこは“洞穴”のような場所だったようです。日本は木造建築の歴史をもっていますが、イスラエルは石造りの建築が基本です。
現在、ベツレヘムには生誕教会という名の教会が存在し、その地下にイエスが生まれたとされる洞穴が残されています。岩肌は幕で覆われ、石製の飼葉おけが置かれています。
ベツレヘムの町は、なだらかな丘になっていて、その周辺の平地にも、たくさんの石灰岩の洞穴がありました。現在でも何百もの洞穴を見ることができます。多くの人々は、そのような洞穴で暮らしていましたから、イエス・キリストが生まれた場所も、そのような洞穴のひとつだったというのが定説です。ベツレヘム郊外には、羊飼いを記念する教会もありますが、それらも羊飼いがいたとされる洞穴の上に建てられています。

Qマリヤとヨセフの地元、ナザレでは?

マリヤとヨセフが育ったナザレという村は、人口100人ぐらいの本当に貧しい村だったようです。村は発掘されていますが、小麦の擦り石やピット(貯蔵穴)など、生活のための必要最低限のものしか発見されていませんので、この村でも、多くの人々は洞穴に住んでいたのではないかと考えられています。
洞穴はいくらでもあったので、貧しくて家が建てられない人は、自然と洞穴に住みました。生活しやすいように中を掘り進めたり、改良することはあったかもしれませんね。
ベツレヘムやナザレのように、小さく貧しい村では洞穴が住居となり、一方エルサレムのような大きな町では、石造りの家が多く見られました。
マリヤが、御使いからのお告げを受けた場所といわれるマリヤの家(現在の受胎告知教会)や、ヨセフとマリヤが新婚生活を過ごしたとされる家(現在の聖ヨセフ教会)にも、洞穴が残っています。ローマ帝国時代にキリスト教が公認されると、洞穴を守る形で教会が建てられたようです。そこがたしかにマリヤゆかりの地だと証明することはできませんが、洞穴に住むような生活様式だったからこそ、そのように伝承されてきたのでしょう。実際、それらの洞窟には生活の痕跡が残っています。(月刊「いのちのことば」2013年1月掲載)

< 第2回へ第4回へ >