《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ー「伝道者の書」とわたし その5

  • 2019/11/1
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(C) 2019 齊藤エステル

《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ー「伝道者の書」とわたし その5


菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。

第2章「快楽の実験」その2

快楽の波に吞まれ


高校1年の年末、私は居酒屋でバイト先の仲間とつるんで、お酒を交わしていました。
 そこには、呑みすぎて吐いてしまう先輩を笑いながら見ている自分がいたのです。あっという間に私はその世界の波に呑まれていき、そしてついに私は壊れ始めます。
 家に帰るのも深夜を超え、日中はなんとか学校に行き、夜になればアルバイトに行き、そこで仲間とつるむのでした。

仲良く取り繕っても


 でも、実を言うと、仲間とつるむと言っても決して楽しいことばかりではありません。そこには難しい人間関係がありました。表面では仲良く取り繕っても、裏に入ればあの人、その人への陰口の嵐。オーナーも一緒になって誰かをけなし、馬鹿にして、笑いました。
 そして、私もその中にいて、その快楽を味わっていたのです。けれども、その快楽は恐ろしいものです。一言発した誰かへの悪口が、今度は自分にめがけて飛んでくる恐怖に震えていました。だから、私は一生懸命、何事も完璧にこなそうとしました。

一つの変化


そんな生活を続けていく中で私は自分の一つの変化に気づくようになります。それはよく泣くようになったということです。ちょっとしたミスや誰かに言われた言葉に過敏に反応してすぐに泣いてしまうのです。自分が思っても見ない場面で目から涙がポロポロと出て、止まらなくなる現象が続きました。「泣かないぞ」と思っても、気づけば涙が溢れている。その時は、「自分は泣き虫なのだな」ということにしておきました。

大粒の涙


それは高校2年生が始まった春のことでした。いつものようにあのアルバイト先に出勤しました。そこで私は重大なミスを犯してしまいました。ミスがわかった瞬間に私の目からは大粒の涙が出て、止まりませんでした。その後、嗚咽をしながら、オーナーにミスを謝ったことを覚えています。
ただ、今振り返ると、私は人一倍仕事のミスが多かったこと気づきます。集中力の欠如、そして不思議なくらいに出てくる涙の量。さらに異常なほどに働きました。そんな生活を続けて1年が過ぎ、ついに私の心よりも先に、体が悲鳴をあげました。
バイトが終わりかけ、レジで、お釣りをお客さんに返そうとしたタイミングで、意識を失って倒れてしまいます。

双極性感情障害


 自分のからだの体力と働く時間、遊ぶ時間が釣り合っていなかったのです。これは今だから、振り返って分析できることですが、「双極性感情障害」の躁とうつを繰り返す症状だったのだと思います。しかし、まだ私は自分の病気に気づきません。でも意識を失い、倒れたことによって、働くことを辞める決断をすることはできました。

潰された体と壊れた心


 できる限りの快楽を経験した結果、私に残ったものは潰された体と壊れた心でした。そして心にはオーナーや仲間からの罵声がくっきりと残りました。体が動かなくなり、数週間、自分の部屋に引きこもる生活が始まります。
 その期間、情緒不安定であって、ひとりぼっちで、苦しく、死のうと思いました。でも、そう簡単に死ぬことなどできるわけがなく、ひとり哀しく、そして空しい日々を過ごしました。
 そんなひとりぼっちな心には声がありました。それはあの妬みに満ちた悪口の声。そして私に向けられた怒鳴り声。そういう声がくっきりと私の心に響き渡り、私をいつも攻撃していました。
 私のアイデンティティーはほぼないに等しく、生きる気力が湧いてこなくなりました。私は恐ろしいほどまでに傷ついた1年あまりを送っていたのでした。でも、誰かを傷つけたこともまた事実。なんと空しい世界だったのでしょうか。

 

< 前へ次回は11/8に掲載予定 >

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