《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら──「伝道者の書」とわたしNo.33

信仰生活

絵=須藤光

《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その33


菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。

第11章「精一杯生きる」その3

今は自分を守ろう


私は昨年の7月をもって学んでいた神学校を中途退学しました。やはりどうしても体がいうことを聞かず、あるときはうつになり、あるときは躁になっていく毎日が戦いの日々の中で「今は自分を守ろう」と学びから退いたのでした。
必死に生きているのに、と何度も思いました。そして、何度も泣きました。

あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様に、
風の道がどのようなものかを知らない。
そのように、あなたは
一切を行われる神のみわざを知らない。
(伝道者の書11章5節)

神のみわざ

赤ん坊が母の胎で形造られる神秘と、風がどこから吹いてきたのかを人は知りません。それと同様に、人は「神のみわざ」を見極めることはできないと伝道者は語ります。
私の双極性感情障害のことで思うことは、これはただの病ではなく、人の人生から、未来へのずっと抱いてきた願いと憧れを無情にも奪っていく病だということです。
どうあがいても私はこの病に翻弄されてきましたし、積極的に向き合って病状の改善もはかってきましたが、それだけで手いっぱいになるのです。大切な人生の節目節目で自分の思うとおりに体が動かず、何かを失う経験が多くありました。
この苦しみを前に私はただ下を向き、ひとり静かに泣くだけなのでしょうか。

あなたの種を蒔け

朝にあなたの種を蒔け。
夕方にも手を休めてはいけない。
あなたは、あれかこれか
どちらが成功するのか、
あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを
知らないのだから。
(伝道者の書11章6節)

しかし伝道者はこの6節でひとつの結論を出しています──。
そう。それでも人は精一杯、その人生を生きるべきだ、と。朝に種を蒔き始め、夕方になってもその手を休めない農夫のごとく──。

パンを水の上に投げよ


人はみな、先が見えず、痛みや悲しみを経験する人生の途上を生きています。しかし、だからといって小さくなり殻にこもるのではなく、思い切って生きてみよ、と伝道者は勧めます。「パンを水の上に投げよ」(11章1節)、またこの6節では「朝にあなたの種を蒔け」と。
今、目の前に見えることが人生のすべてでもなければ、一度行き詰まったら終わりでもありません。近くにあるものばかりを見ては、木を見て森を見ずかもしれません。その悲しみや無意味だと思えたこと、それが後々になって、人にとって大切な財産になっていくことがあるのだと思います。神様のご計画は人の思いよりもはるかに大きいのですから。

何のために種を蒔くのか


私のことで言えば、今は時が止まったような時期を過ごしているように思えます。しかしこうして文章を書くことが許され、聖書を読む時間があります。今はそのようにして部屋にいることが私にとっての神からの使命だと思っています。
しかし「何のために種を蒔くのか」とか「その種は本当に実を結ぶのか」と考え込むことはよくあります。けれどもそんな悩みの先にいつも生まれるのは、「それでもあなたを信頼します」という祈りでした。状況や環境ではなく、ただ神のみに信頼を置き続ける信仰を神は私に与えようとしておられます。
今の時の訓練がいったいどんな実を結んでいくかはわかりません。ただはっきりしていることは、今を生きることをないがしろにせずに、朝から夕まで、その手を休めず精一杯生きることです。そして、蒔いた種があれば、やがて思いもしなかったところで実が実っていく光景を私は見るのだと思います。

精一杯生きる人生


病は私から多くを奪いましたが、不思議なことに、私がただ主のみを信頼して生きる大切さを教えてくれています。身勝手でもなく、何もしない人生でもない。神が私に「今これをせよ」と言われる御心に「あなたが言われるのなら期待をもって取り組みます」と言える生きがいのある人生があります。だからこそ、私は今日も今日とて、朝に種を蒔いて精一杯生きる人生を歩んでいこうと思います。

 

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