《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら──「伝道者の書」とわたしNo.35

信仰生活

写真=菅野雪

《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ーー「伝道者の書」とわたし その35


菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生として学んでいましたが、持病である「双極性感情障害」にやられ、学び舎から退く決断をしたばかりです。ここではそんな私のささやかな闘病記とともに、私の好きな「伝道者の書」のことばをご紹介し、ともに味わいたく思います。
それに加えて、まだ理解が進みきっていない「双極性感情障害」という病をご紹介し、少しでも誰かのお役に立てればと願っています。

第12章「あなたの若い日に」その2

低い自己肯定感


さて、私のように、子どもの頃は気づけなくとも、大人になってから生きづらさを強く感じ、病院を訪れて発覚する大人の発達障害があるようです。
そのために私は、学校に行けなかったり、うまく人間関係を築けずにいたり、勉強についていけなかったり、アルバイトでミスを連発させたりなど、多くの失敗エピソードを積み重ねてきたのだと思います。ゆえに、自信を喪失し、自己肯定感をひどく低くしている。そうした低い自己肯定感がベースとなってしまい、二次障害として双極性感情障害を引き起こしている可能性が大いにあるのだそうです。
これまでの経験の中で私の心に、「自分はだめな人間だ」という自己理解が蓄積されているのだと思います。

下を向き続ける人生はやめよう


ちなみに発達障害にはタイプがあって、私はADHD(注意欠陥多動性障害)の「不注意優勢型」だそうです。また自閉症スペクトラム障害については主に人間関係に影響があるようです。場の空気が読めず、戸惑うことが正直なところ頻繁にあります。
幸いなことに私の場合、症状は軽い方で、治療すれば改善の余地は大いにあるようです。しかし、幼い頃からの生きづらさや、畳み掛けるように合併したと思われる双極性感情障害の苦しさは決して簡単になくなるものではありません。
──しかし、いつまでも下を向き続ける人生はやめようと思いました。伝道者の書7章にはこんなことばがあります。

神が介入された人生

神のみわざに目を留めよ。
神が曲げたものを
だれがまっすぐにできるだろうか。
(伝道者の書7章13節)

どれだけ自分を「可哀想な人」と思っても、神が曲げたものをまっすぐにはできません。
ならば、どうするのか。ここに信仰の道があります。それは「神のみわざ」に目を留める生き方です。そして、歪んでしまった人生ではなく、神が介入された人生だと信じる道です。
 下ではなく、上を見て、日の下ではなく、日の上を見上げた時、そこには、空しさではなく、若き日に覚えるべき私の創造者がおられたのです。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(1節)から始まる伝道者の書12章は老いがもたらす現実を1節後半から8節までにわたり記しています。
7節、8節において、老いが行き着くところは死であることが語られます。

空の空

土のちりは元あったように地に帰り、
霊はこれを与えた神に帰る。
空の空。伝道者は言う。すべては空。
(伝道者の書12章7節~8節)

誰もが逃れることのできない現実、それは死です。死ぬために生まれたのかとすら思えてしまう人の人生。それはまさに「空の空。伝道者は言う。すべては空。」(12章8節)であると、伝道者はこの書の冒頭「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」(1章2節)に逆戻りしました。
伝道者の書はただひたすら、この空しさのループに陥るだけの書なのでしょうか──。

いいえ、違います。この空しさを打ち消す唯一の解決こそ、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(12章1節)ということばであることを忘れたくないのです。
私は、このお方を今知ることができて、本当によかったと思います。そして、私という存在は決して死んだらおしまいではない。なぜなら、主イエスを信じることによって、永遠のいのちが与えられているのですから。

生きがいをもって歩んでいける人生


そして、私にはまた、しばしの間、この地で生きていく歩みが残されています。
神が天地創造のみわざを成し遂げられた後、七日目に安息に入られたように、できれば私も一生の間、任された尊い働きを勤め終えて、それから永遠の安息に入れていただきたい。かの偉大な教父、ヒッポのアウグスティヌスがそのようなことを言っていました(『告白』第13巻/第36章)。
苦しみの尽きない人生ですが、しかし先にある永遠の安息に憩うことを夢見ながら、待ち望みつつ、生きがいをもって歩んでいける人生がここにあるのだと思います。(つづく)

 

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