《証し》「個」が見えなくなり一体化に進む中で 大島博幸

証し・メッセージ

《証し》「個」が見えなくなり一体化に進む中で

「イエスは主」の告白に生きる

日本バプテスト連盟福島主のあしあとキリスト教会 大島博幸

今から30年前に行われた「天皇代替わり」は、「昭和天皇」の死去によるものでしたが、今回は「生前退位」という「退位表明」による「尊敬と祝意」を出発点とする「天皇代替わり」でした。政府は、「前回の代替わりを踏襲して行う」と宣言し、2018年3月に「天皇陛下のご退位及び皇太子殿下のご即位に伴う式典委員会」を設置し、翌4月には「式典の挙行にかかわる基本方針」を閣議決定しました。こうして19年4月30日に「退位の礼」が行われ、そして「改元」と「即位の礼」の諸儀式が、19年5月1日から始まり、同年11月14日~15日の「大嘗祭」を経て、祝いの祝宴「大饗の儀」が行われ、伊勢神宮への皇位継承の全祭儀が終了したことを奉告する「親謁の儀」へと続きました。さらに今年4月の「立皇嗣の礼」によって、一連の「天皇代替わり」の儀式が終了します。大波のような「平成時代を懐かしむ」ことや「皇室を礼賛」する報道が続き、大々的な祝賀ムードが沸き上がりました。そうした中で行われた「天皇代替わり」の諸儀式が、「長い伝統」や「日本独自の習慣」とされて、当たり前のように私たちの日常の中に居座り始めてきています。それは、新しい形の「天皇代替わり」でした。
今回の「天皇代替わり」報道では、「祝意・敬意」や「伝統」などが繰り返し言及され、そこに強力なスポットライトが当てられました。人々の中に「天皇」や「皇室」への関心は高まりましたが、一方で「政教分離」や「信教の自由」、「改元・元号」などの議論はトーンダウンしたように感じます。こうしたスポットライト効果は、私たちに「代替わりを国民がこぞってお祝いしているから…」とか「日本人なら祝うのが当たり前でしょう…」とか「みんなが祝っているから…」というようなものへと強く促していきました。そしてそれは教会の中でも、「新しい年、令和が…」と平然と語られたり……(クリスチャン新聞2020年2月9日号5面に全文掲載)
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