《自分らしい葬儀》死を覚えて生きる知恵

信仰生活

死を覚えて生きる知恵

旧約聖書の伝道者の書では、「神を恐れる」と表現される生き方こそが幸福であると示されています。それこそが、富と権力と知恵という偶像への崇拝から自由であり、かつ神がこの世界を治めるその治め方に適応した生き方です。特に9章以降には、この「神を恐れる」生き方が具体的にどのようなものであるのかが提示されています。

具体的な生き方を提示する際に、伝道者(コヘレト)はそれを人の死と関わらせ、考察しています。死は神が人に与えておられるものの中で、人に限界を与える最たるものです。死が人に関する記憶の健忘症を生み出し、所有物に関するあらゆる自由を奪い取り、だれひとりとしてこの時を逃れることができないからです。
9章1節から6節で、死の二つの特徴が挙げられています。死の一つ目の特徴は「すべての違いを奪い取る」ことです。

というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、人にはわからない。
すべての事はすべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、汚れた人にも、いけにえをささげる人にも、いけにえをささげない人にも来る。善人にも、罪人にも同様である。誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様である。(1—2節)

神の前に喜ばれる生き方の人にも、神を恐れず傍若無人に生きてきた人にも死は臨み、その人の行動に現れている人格の違いは奪い取られます。人と獣の境目が、死の現実によってなくなったように(3・18—21節)、死という観点で考えると、すべての人は同じです。そして、これこそが、神がすべての人(正しい人にも悪しき人にも)に備えている正しいさばきなのです。
しかし、死にはもう一つの特徴があります。それは「死は生きている者と死んだ者とに分ける」ことです。生きている者と死んだ者とは、明確に異なっている点があります。

すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子にまさるからである。生きている者は自分が死ぬことを知っているが、死んだ者は何も知らない。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。(4—5節)

コヘレトは生きていることの価値を語っています。すばらしい存在(獅子=ライオン)でも死ねば、忌み嫌われつつも生きている存在(犬)よりも劣っている、と。生きている者は、自分が死ぬべきことを知っている。だから、生きている者には希望がある。自分はやがて死ぬという知識の分だけ、生きている人は死んだ人よりまさっている、というのです。
「死ぬことを知っていることは大きな優越点である」というコヘレトの奇妙な主張も、何ら不思議に思えるわけではありません。死がすべての違いを奪い取るとしても、死は生きている人と死んだ人の違いを奪い取ることはできないのです。「自らがやがて死ぬ」という貴重な知識に則って人生を考える、つまり「墓場から人生を考える」とき、生きている者は希望を持つことができる——実に逆説的な真理です。
神を恐れ、自分の来るべき死の現実を覚えて生きるとは、具体的にはどういうことでしょうか。三つの箇所に焦点を当てて、まとめておきます。

①死を覚えて、今を生きる(9章7—10節)

まずコヘレトは、飲み、食べること、祝宴の機会があれば、それを逸することなく、かつ継続的にその時を持つように勧めています。

さあ、喜んであなたのパンを食べ、
愉快にあなたのぶどう酒を飲め。
神はすでにあなたの行いを喜んでおられる。
いつもあなたは白い着物を着、
頭には油を絶やしてはならない。(7—8節)

 今、飲食の機会が与えられているということは、神からもうすでに喜ばれている証拠です。富は与えられたが、それを楽しむことが許されなかった、「神に嫌われた人」ではありません。この神の好意がいつ取り去られるかわからない現実があるからこそ、一時たりとも無駄にしてはならないのです。

日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。(9節)

今、生きている間のこの時期は「空である日々」であり、いつ終わってもおかしくない、短い地上での生涯です。ですから、「ふたりはひとりにまさる」(4章9節)ことを受けて「愛する妻と」共に生きるように勧めています。神から与えられた喜びを大切にせよ、という訴えが強調されています。
だからこそ、今、自分の手もとにあるものに取り組み、機会を逃さないように勧めているのです。

あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。(10節)

ここにも死の臨場感があふれています。次の瞬間に死が襲いかかる可能性が否定できないからこそ、緊迫感を持ちつつ、今この時に与えられ、自らの手で取り組むことが可能なことは、すべて行うようにと求められています。
いつ死ぬかわからないが、必ず死ぬことはわかっています。だからこそ、神が今あなたに与えている賜物——喜び、祝宴、家族——を無駄にするな、それを味わい楽しみなさい、とコヘレトは訴えているのです。将来を予測できない世界、そして死を避けることができない世界だからこそ、この現実に適応するために「今を生きよ」、「時を生かせ」と。

②思慮深く、気前よく生きる

あなたのパンを水の上に投げよ。
ずっと後の日になって、
あなたはそれを見いだそう。
あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。
地上でどんなわざわいが起こるか
あなたは知らないのだから。(11章1—2節)

 通常なら無駄に思える行動、大損覚悟の行動を勧めています。「パン」は喜びの機会(9章7節)そのものを指しています。神から喜びの機会が与えられたなら、それを独占するのではなく、たとえ無駄と思えてもその機会をまわりの人々に分け与えよ、とコヘレトは命じています。より多くの人が飲食という喜びの機会を得ることができるようにせよ、との勧めです。
これは将来、今度は他の人から自分がパンを与えられる期待を込めての行動でもあります。他者に与えるならば、いざというときに、神の賜物が予想外の人から届けられるかもしれない——確実性ではなく、可能性にかけた選択です。将来がわからないからこそ、可能性にかけることは大切です。
「分け前(受ける分)」も、飲食という喜びの機会と密接に結びついています。ここでも、できる限り多くの人々に、慈善行為と思われるほど広い範囲の人々に分け与えるように勧めています。その動機は、「地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから」、つまり、将来に対する無知です。
どちらの命令も、将来が不確かな世界であることを前提とし、そこでいかに生きるのかに関するアドバイスです。永続する儲けを求めた考えではなく、神の賜物である飲食の機会という喜びが、つまり「幸福」が少しでも自分のところに届きやすいようにと願っての行動指針です。ここでは、将来に関する自らの無知を知り(思慮深く)、人に喜んで分け与える(気前のよい)生き方が勧められています。これは、家族のみならず、それを超えた、共同体としての生き方の勧めと見ることもできます。
一見、相反するように思えるアドバイスが続きます。

雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。
木が南風や北風で倒されると、
その木は倒された場所にそのままある。
風を警戒している人は種を蒔かない。
雲を見ている者は刈り入れをしない。(3—4節)

 3節は、自然現象に存在する何らかの因果関係を述べており、それがわかれば、これから起こることの予測が可能であることを示唆しています。ところが4節は、因果関係がわかっているからといって、その知見に基づいて行動をするタイミングを狙っていたら、いつまでたっても行動に移せないことへの警鐘です。
何らかの結果を生み出したければ、積極的に行動に移すことが必要となります。あらゆることを把握することは不可能であるからこそ、最善と思えなくても、危険を冒し、行動を起こすことが大切です。

③死を見据えて神の賜物に生きる

コヘレトの最後のアドバイス(11章7節—12章7節)では、まず、「太陽を見る」ことのすばらしさが訴えられています。
光は快い。太陽を見ることは目のために良い。人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、やみの日も数多くあることを忘れてはならない。すべて起こることはみな、むなしい(空である)。(7—8節)

「光」や「太陽」は生きていることを表しており、「やみの日」はたいへんな損失や死同然の状況を表しています。人間の可能性と危険性の両方、神の賜物を喜ぶ可能性と、そのような神の賜物を全く経験できない危険の両方を承知の上で、長い年月を楽しむことが勧められています。短く、すぐに暗転する可能性がある人生において、今、神から与えられている可能性を生かすように勧められているのです。光の日が与えられているならそれを捕らえよ、と。
満足も喜びもないこの世界の現状を知りつつ、喜びと楽しみに生きることが命じられています。「しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ」(9節)とは、「楽しんで生きるのはいいが、楽しみすぎたときには神からの厳粛なさばきを受ける」というよりも、神の賜物である喜びと楽しみを有効に用いないで無駄にしてしまった人に対する神の正しい取り扱いを意味しています。楽しむ機会を逸してしまったことそのものが罰であり、死によって喜び楽しむ機会を奪いさられたことが罰なのです。飲食に表されている喜びの機会という、神の賜物をどのように用いてきたかの総決算をされるのが死だからです。
コヘレトが避けるようにと勧めているいらだちや不快なもの(10節「あなたの心から悲しみ〔いらだち〕を除き、あなたの肉体から痛み〔不快なもの〕を取り去れ」)は、どちらも喜びを妨げるものです。「若さも、青春も、むなしい(空である)から」、つまり若い時の短さのゆえに、喜びを妨げるものを取り除き、神から与えられた喜びの時を最大限に享受せよ、と訴えているのです。
もう一つの勧めは、世界に秩序を与え、それによって世界を統治している神を心に留めることです。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。(12章1節)

この世界を造り、喜びを賜物として私たちが驚くような時に与える、世界の統治者である創造者を心に留めるように訴えています。これは「神を恐れる」ことの言い換えではあります。ただし、「心を留める」は、知恵が持っている力の可能性を発揮するために必要な行動であり(9章11—16節)、あらゆるものが忘れ去られる(1章11節)世界にあって、それにかろうじてでも対処する道です。
さらに、「創造者」という表現から、1章4—11節や3章1—8節に描かれている、被造物の中に見いだされる秩序が、この創造者によって生み出されたことも示唆されているでしょう。つまり、創造者を心に留め続けるならば、創造者が造られた世界の秩序に留意して、人の持つ限界を心に留めて生きるようになる——それこそが「幸福」なのです。

死の到来のゆえに、すべてが機能しなくなる。死とともに人は土に帰り、いのちの息である霊は神のもとに帰ります。死が来る。そしてすべてが終わりを告げる。神が与えているいのち、それが拓きうるチャンスが終わりを告げる。その前に神の賜物としての喜びを十分に味わえ。そのためにも、世界をそのように造り、秩序を与えた神を心に留め、まさにこの方を恐れよ——コヘレトは死の現実を直視した上で、今与えられている可能性を最大限に活用するように、青年たちに語っています。それはまさに、すべての終わりである死を経験し、二度と戻れない所に行ってしまった者として、墓場から若者たちに「今を生きる」ようにと訴えているのです。それこそが、幸福への道であると。

④偶像崇拝から解放されて神のかたちに生きる

死の現実の前で、人は死という対処のしようのない敵に直面します。しかし死は、人を権力、富、知恵という偶像から解放しうる力を持つのです。もし、観察と思索の手段としての知恵を用いるならば、墓場から人生を再検討することができます。
コヘレトは、だからこそ、神が与えている賜物を無駄にせず、それを味わい楽しむこと、思慮深く、気前よく、危険を恐れず、完璧を求めず、勇気をもって取り組むことを勧めました。神が与えてくれているチャンスが終わりを告げる前に、神の賜物を十分に味わうべきです。そのためにも、権力、富、知恵といった偶像から解放される必要があります。このようにして、死と、世界を統治している神が打ち立てている秩序から人生を再検討し、それにふさわしく生きることこそ、コヘレトにとっての「神を恐れる」生き方なのです。
「神を恐れること」、それは「この世界に秩序を与えている創造者を心に留めること」にほかなりません。(鎌野直人〔関西聖書神学校校長〕)
『自分らしい葬儀【準備ガイド】』82頁—88頁)

目次
はじめに 葬儀は人生の総仕上げ………3
看取り篇………7
人生の最期をどこで過ごしますか………9
施設で介護を受けるということ………10
在宅で介護を受けるということ………14
看取り介護の可能性………16
【コラム】延命治療を受けたくない場合………19
ホスピス(緩和ケア)という選択………21
施設型ホスピスの良いところ………22
在宅ホスピスの良いところ………24
【コラム】こどもホスピス………26
【コラム】脳死か心臓死か—臓器移植の是非………28
葬儀篇………29
葬儀のあり方と意味………31
聖書は死をどう見ているのか………32
仏教葬儀でキリスト者らしく………34
キリスト者らしい葬儀………37
悲嘆と向き合う………39
遺された人にとっての葬儀………40
信仰の証しとしての葬儀………43
遺族の慰め・グリーフケア………45
自死の場合をどう考えるか………48
臨終から葬儀………51
キリスト教葬儀のスタイル………52
葬儀に役立つ情報………59
信仰のことばを墓石に刻む………68
記念礼拝・墓前礼拝………70
Q&Aこんな時どうすれば?………71
墓地・埋葬をめぐる法律問題………72
教会墓地の名義の落とし穴………75
クリスチャンと埋葬・火葬・散骨………76
死への備え篇………77
デスエデュケーションとは?………79
リビングウィル——自分らしい最期を意思表示………80
献 体………80
エンディングノートを書いておこう………81
死を覚えて生きる知恵………82
遺産をめぐる法律問題………89
信仰の遺産をのこす………93