《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第11話〕

  • 2019/9/2
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賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第11話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

恩寵に背いて

 息子が海で死んだとばかり思っていたニュートンの父は、彼が無事でグレイハウンド号の船員たちと共に祖国に向かったことを知って大いに喜んだ。たまたま父は、カナダのヨーク・フォードという町の知事に任命されたばかりだったので、その晴れがましい任命式にニュートンを一緒に連れていこうと考えていた。しかし、グレイハウンド号の修理が予定よりも長引いたため、1748年5月下旬にニュートンがロンドンの生家に着いた時には、すでに父は家族と共にカナダに出発してしまっていた。
 数日ほどたった後、ニュートンはとりもなおさずスウォニク船長が言っていた遺産相続の件を確かめるために、父に手紙で問い合わせることにした。これに対して、父から愛情のこもった返信が届いたが、その内容は驚くべきものであった。

 愛する息子、ジョンよ。…遺産相続などまやかしだ。いったい誰がそんな話をおまえの耳に吹き込んだのだ? もし、スウォニク船長だとしたら、それはおまえをアフリカにおける不健康で悲惨な生活から引き離して祖国に連れ帰るための方策であったろうから許してあげなさい。いかなる手立てを講じても息子を連れ帰ってほしい―とわたしはスウォニク船長に懇願したのだよ。
 …わたしたちは与えられたもので満足し、その中で自分の人生を豊かなものにしていくように人生設計を立てねばならないのだ。

 常におまえの幸せを願っている父

 またしてもペテンにかけられたか―と、ニュートンは激しい怒りで頭がくらくらした。遺産が手に入らないからではなく、やっと信頼関係を回復し、近頃では心が通い合うように感じ始めていた父親が、あのスウォニク船長と共謀して自分をイギリスに連れ戻すためにうそをついたことが許せなかったのである。
 悲しく、情けない思いでニュートンは久しぶりに町の酒場に出かけてゆき、浴びるように酒を飲んだ。
 (ちくしょう! こんなことならイギリスに帰ってくるんじゃなかった。あのキッタムで万事うまくいっていたのに。あのままラルフと手を組んで奴隷貿易を続けていたら、相当の金が入り、いい暮らしができたのになあ)

 彼は翌日、ケント州チャタムに出発した。約3年ぶりにメアリーに会いたかったし、何よりもエリザベス・キャットリットにこのひどい話を聞いてもらいたかったのである。
 「まあ、ジョン。ずいぶんたくましくなったこと」
 エリザベスは自分の息子に対するようにニュートンを温かく抱擁した。
 「エリザベスおばさん、聞いてください。わたしはすっかりだまされてしまいました」
 ニュートンは、あいさつもそこそこ、でたらめな遺産相続の話につられてイギリスに連れ戻された件を恨めしげに語った。
 「こんなひどい話はないでしょう? 父親は、わたしが事業で成功したことが許せなかったんですよ。わたしを金持ちにしたくなかった。…だから」
 「ジョン」
 エリザベスは、途中で彼の手を抑えた。
 「今度はわたしの話を聞いて」
 そして、彼を別室に連れていくと、思いがけない話をした。
 「お父さんはね、あなたがどこにいても、何をしていても、心に掛け、幸せを願っていらっしゃるのよ。あなたには黙っておけと言われたんですけどね。実はあなたが帰ってくる前に、一人ではるばるここを訪ねてこられたの。
 ずっと昔、まだあなたが6歳の頃、わたしはお父さんと口論してしまって、それ以来ニュートン家とキャットリット家はずっとつきあいをしていなかったの。お父さんは、まずわたしと口論した原因―お母さんが亡くなってすぐに再婚してしまったこと。そしてそれが、幼いあなたの心を深く傷つけたこと―について、わたしにわびられました。それから、こう言われたの。
 『息子があなたのご息女をずっと愛しているのを自分は知っていました。やっとあの子も一人前の男になったようだから、もしメアリーさんに対して求婚するような時がきたら、どうか許可してやっていただきたい。そしてわたしもそれを許し、祝福すると伝えてください。私は間もなくヨーク・フォードに発ちますので、もう会えないかもしれませんから』
 そして、深々と頭を下げられ、そのままお帰りになりました。もちろん、わたしは絶交していたとはいえ、あの人のことを悪く言ったことなど一度もありませんよ。ジョン、あなたのお父さんは立派な人です」
 気がつくと、ニュートンは泣いていた。初めて知った父の深い愛だった。
 その晩はキャットリット家に泊まり、翌日、彼はメアリーにプロポーズする決心をした。3年間会わない間に、メアリーは無邪気で愛らしい少女から、思慮分別を備えた気品ある女性になっていた。ニュートンはこの大切なメッセージをことばで伝えるよりも、一度家に帰り、手紙で伝えたかったので、そのままキャットリット家を後にした。そして、その3週間後、彼が出した手紙に対してメアリーから返事が来たが、ニュートンがしっかりした職に就いたら、結婚を前提としてつきあいをしてもいいということであった。

安定した職につられて

 ニュートンがそろそろ新しい職を探そうと考えていた矢先、思いがけないことに、父親の友人であるジョセフ・マネスティが彼を訪ねてきた。
 「よう、ジョン! しばらく会わないうちに男らしくなったな」
 マネスティは彼の肩をたたき、父親が、自分はヨーク・フォードに行ってしまうので、もし息子が戻ってきたら何か仕事をさせてやってほしいと頼んでいたことを伝えた。またしても、ニュートンはひしひしと父の愛を感じた。
 「いい仕事があるよ。きみをブラウンロウ号の船長に推薦したいんだ。仕事はもうかるし、安定したものだよ。ただし…」
 マネスティは、ちょっと言いにくそうに声を落とした。
 「お父さんは、きみをもう奴隷貿易に誘うのをやめてほしいと言っておられたんだが、なにせ今、貿易業界は極めて厳しい状況になってきてね、普通の貿易だけやっていたのでは経営が成り立たない。これではイギリス経済も支え切れない。だから、どこの船会社もこっそりとやっていることなんだよ」
 その仕事というのはキッタムでやっていたのと同じものだった。今度は、奴隷の管理や監督ではなく、アフリカの部族の長と交渉して奴隷を買い入れ、西インド諸島に輸送し、白人の奴隷商人に売り渡すことだった。
 一瞬、ニュートンは躊躇した。―というのは、あの暴風雨の中から奇跡的に生還した時から、心情的に何となく奴隷貿易というものに対して忌まわしさと嫌悪感を感じるようになっていたからである。しかし、近くメアリーと結婚できそうだし、今は何よりも経済的に安定した仕事が欲しかった。
 「その仕事、やらせてください」
 ニュートンは即座に言った。
 「でも、わたしは自分の悪い癖を知っているので、船長ではなく、普通の船員として使ってもらいたいんですが」
 「よろしい」
 マネスティは、ポンと彼の肩をたたいた。
 「ではきみをブラウンロウ号の一等航海士にしよう。これで万事オーケーだ」
 新しく雇われた船長は、トマス・コックという体つきの頑丈な男だった。彼は一目でニュートンが気に入ったようだった。
 「前にキッタムでこの仕事をやっていましたからね。おおよその見当はつきますよ」
 ニュートンは、新しい船長と握手をしてから言った。そして以前の経験から、女奴隷はあまり役に立たないうえ、子どもを連れた者が多いために面倒を起こしやすいので、できれば男奴隷を仕入れたほうが得策であると教えてやった。
 「やつらは重労働に耐えられるし、いろいろなことに使えますからね」
 コック船長はニュートンを信用し、すべてを任せてくれた。

そう簡単には変わらない性質

 ところで、この船の船員の中にボブというひげ面の男がいた。彼は酒飲みだったが、陽気な性格で気前がよく、おもしろい話題を仕入れてきては話してくれるので、すっかりニュートンはこの男と意気投合してしまった。
 「一杯やるか?」
 ボブは、いつもポケットにオランダ・ジンをしのばせていて、ニュートンの袖を引いた。
 「おっ、いいねえ」
 ニュートンは片目をつぶって見せた。ボブは、ニュートンが酒好きなのを知って、毎晩のようにジンやラム酒を勧め、二人はいい気分になって自分たちが経験した冒険話や、世間話などをし合っては、興に入るのであった。そのうち、酒の勢いで政界や財界からもれてくるうわさ話やスキャンダルにまで及び、果ては卑猥なことばまで飛び出して、彼らは手拍子でだみ声を上げて歌ったりするのだった。
 このような騒ぎは日を追ってひどくなり、真夜中に浮かれ騒ぐのであちこちから文句が出、いさめに来た船員とつかみ合いのけんかになることもあった。
 こうして、ニュートンが以前の自堕落な生活に戻ってしまうのに時間はかからなかった。彼は、あの暴風雨の中で転覆しかけた船から自分を助け出してくれた方のことをいつの間にか忘れてしまい、あれは極度の恐れと疲労の中にあって幻を見たのだろうと考えるようになった。そして、さすがに以前のように神を冒瀆する歌は歌わなくなったが、神というものは人それぞれが心の中に作り上げる偶像にすぎないものだとボブに広言するほど、恩寵から遠く隔たってしまったのだった。さらに、奴隷貿易に対しても、次第にやましさが薄れてゆき、奴隷はやはり商品として扱ってもいいのだと確信するようになった。
 (この道の達人となって成功するのもいいじゃないか。奴隷商人だって一つの職業だ。金はもうかるし、好きなことができる。世間に対してはただ貿易商人と言っておけばいいんだからな)
 彼は心につぶやくのだった。

 シエラレオネに着くと、ニュートンの商才がたちまち功を奏して、ある部族との交渉がことのほかうまくいき、数人の男奴隷を買い入れることができた。ニュートンは以前そうしたように、手と首に枷をはめ、二人一組にして歩かせていくと、女と子どもが後を追い、取りすがって泣き叫んだ。
 「さあ、帰った、帰った!」
 ニュートンとボブはこん棒を振り上げて彼らを追い払い、奴隷の腰を蹴飛ばすようにして歩かせた。
 「思ったよりも簡単に良い買い物ができたじゃないか」
 ニュートンとボブは、ほくほくしながら手を打ち合わせた。それから船に乗せると、奴隷の枷に付いている鎖を船べりのボルトにしっかりとつないだ。
 その時である。一人の奴隷が憎々しげにニュートンの顔をにらみつけると、ペッと唾を吐きかけた。その目には恨みがこもって紫色になっていた。
 「こいつ! 奴隷の分際で何をするか!」
 ニュートンは、発狂するばかりの怒りに駆られて、思わず足を上げると男の腹を蹴った。
 「おまえたちは金で買われた黒人奴隷じゃないか。白人に手向かうとひどい目に遭うことを思い知れ!」
 そして、倒れた男を引き起こすと、その腹を蹴り続けた。こうして彼は、もはや二度とはい上がれない罪の泥沼に落ちていった。
【「百万人の福音」2017年11月号より】

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