《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第6話〕

  • 2019/7/29
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賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第6話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

自由を求めて脱走計画

 1745年2月。軍艦ハリッジ号は、コーンウォールの沿岸に差しかかった。この時、突然嵐に見舞われ、強風のためにマストは折れ、帆は吹きちぎられ、船員も負傷するという大きな被害を被った。この時、ハリッジ号は、他のイギリス艦船と共に「大艦隊」を組み、商船を護送する役割を担っていたのだが、他の艦船ともどもプリマスの沖合まで戻り、そこで傷ついた船体の修理を行うことになった。
 この時ニュートンは、父親が、少し前に沈没した商船の何隻かに関する権利をもっていたことから、商談のためにプリマス近くのダートマスという所に来ているのを知った。
 (また親父に助けてもらおう。もう我慢も限界だ。絶対にこんな窮屈な生活とは縁を切ってみせるぞ。もとはと言えば、やつらが自分を無理やりここに連れてきて入隊させたからいけないんじゃないか)
 ニュートンは、再び脱走の方法をあれこれ考え始めた。
 そんな時、思ってもないチャンスが巡ってきた。艦長が2、3人の船員に、小舟でプリマスまで食料を買いに行かせることにしたのである。そして、艦長はニュートンを呼び出すと、彼らが脱走しないように見張っていろと命じた。
 「わかりました。忠実にこの命令に服します」
 ニュートンは、ドキドキする胸を抑えて誓った。それから、船員たちと共に小舟に乗りこんだ。
 プリマスに着くと、彼は、船員らが町中に買い物に出掛けるのを見届けてから脱走した。走ると人に怪しまれるので、音を立てないように早足で歩きながら、ダートマスに通じる道を少しばかり行った時である。そこをパトロール中の海兵隊員が、いきなり彼の行く手を遮った。
 「ちょっと待て。おまえはどこの海兵隊に所属しているのだ?」
 「外出許可証を見せろ」
 彼らから詰問され、ニュートンはしどろもどろになって、ようやく自分の名前だけを言った。彼が、軍艦ハリッジ号の脱走者であることが判明するのに時間はかからなかった。彼は手錠をかけられ、大勢の群集が見物する中を連行されて海軍の留置所に入れられた。ここで、他の艦隊からの脱走者や犯罪者と一緒に2日間過ごすことになった。そして3日めに、軍艦ハリッジ号に護送され、艦長に引き渡されたのだった。

死刑宣告と解放

 翌日、ニュートンは軍法会議にかけられ、死刑が宣告された。これは、軍律に定められていたもので、脱走者に課せられた厳しい刑罰であった。この知らせは、ダートマスにいる彼の父親の元にも届き、慌てた父はハリッジ号の艦長に、「どうか死刑だけは免除してやってほしい」と懇願した。そして、今回も父親ジョン・ニュートン氏に免じて死刑を免れたが、「ムチ打ちの刑」に処せられることになった。それも、父親の願いどおり20回ですむことになった。
 処刑は通常、甲板で行われた。ニュートンは、着ている物をすべてはぎ取られ、身動きできないように鉄の杭に縛りつけられた。そして、9本の皮ひもを撚り合わせて作られたムチで背中を強打されたのであるが、一打ちごとに皮膚は破れ、血が流れ出した。
 この処刑は、激しい苦痛を伴うものであったが、それ以上に、耐えられないほどの屈辱を味わわねばならなかった。というのは、ムチ打ちが行われている間、それを取り囲むようにして船員全部が眺めていたので、この見せしめによる精神的屈辱は、肉体のそれにまさって大きいものであった。
 その後、ニュートンは見習い士官の地位を剥奪され、船員の職務の中でもいちばん低い「雑用係」に降格された。今までニュートンが横柄な態度で何かを命じたり、用をさせたりしていた部下たちは、この時とばかりに仕返しをした。
 「おいっ! もっと手早く、言いつけられた用事ができないのかよ」
 「靴がちゃんと磨けてないぞ。この横着者!」
 すべての船員が彼を軽蔑し、白い目で見るのだった。ニュートンは情けなくて、人に隠れて涙を流した。
 そんなある日のことであった。彼の運命を変える出来事が起きた。前日遅くまで甲板の掃除をさせられていたニュートンは、疲れ切って、翌朝寝坊をしてしまった。
 「おい、起きろ! この怠け者!」
 かつては同僚であり、仲の良い友人だったジェームス・ミッチェルが彼をたたき起こした。しかし、ニュートンはすぐに起き上がることができなかった。すると、怒ったミッチェルは、短刀の鞘をはらうと、彼が寝ているハンモックのひもを切り落としたので、彼は床に転がり落ちた。
 「さっさと支度しろ! 仕事は山ほどあるぞ!」
 ミッチェルはこう言い捨てて、甲板に上がっていった。
 「このやろう! 殺してやる!」
 ニュートンは怒りに駆られて、彼のあとを追って甲板に駆け上がった。―と、その時、甲板で1人の船員が自分の服を小舟に積み込んでいるのが目についた。
 「何してるんだ? 脱走したってすぐに捕まるぞ」
 ニュートンが言うと、彼は首を振った。
 「いいえ、違います。あそこに停泊している、ギニアの商船ペガサス号に行くように艦長から言われたんです」
 すると、その商船から入れ替わりに2人の船員が小舟でこちらに向かってくるのが見えた。ニュートンはとっさに、海軍において今、盛んに行われている「船員交換」なのだと気づいた。つまり、艦長の判断で、気に入らない船員や問題を起こしやすい船員がいると、商船と交渉して、そちらの船員と交換してもいいことになっていた。彼の頭に、ひょっとしたらこの軍艦を脱出できるかもしれない―という考えがひらめいた。
 「ちょっと待っててくれないか」
 そう言ってその船員を待たせると、彼は艦長の所に行って、土下座せんばかりに頼みこんだ。
 「艦長、お願いがあります。迷惑ばかりかけてしまって、艦長の顔に泥を塗るようなことをして申し訳ありません。これ以上自分は海軍にいても大した働きができないと思うし、ここに居づらくなったので、どうか、この軍艦からギニアに行く商船に移らせてください」
 そして、彼は頭を床にこすりつけた。
 その時、いつのまにか背後にジェームス・ミッチェルが立っていた。
 「このわたしからもお願いします」
 意外なことに、彼はニュートンを弁護してくれたのである。
 「ずっと見ていて、彼は軍律のある海軍生活に向いているようには思えません。これ以上ここに引き止めておいても本人も不幸だし、ハリッジ号にとっても益とならないでしょう。どうか、彼を解放してやってください」
 「よし、わかった。ジョン・ニュートン、おまえをギニア商船ペガサス号の船員と交換させることにする」
 艦長はこう言って許可を下した。
 ニュートンは飛び立つ思いで荷物をまとめると、待っていてくれた仲間の所に行った。
 「元気でな」
 ジェームス・ミッチェルは彼が小舟に乗り込むまで付き添ってくれてから、手を差し出した。
 「ありがとう。きみも元気でな」
 ニュートンは、二度と会うことはないと思われた仲間の手を握り返した。こうして「船員交換」は無事に済み、ニュートンはギニアの商船に乗り込んだ。

救いようのないニュートンの悪癖

 船の行く先はアフリカ西海岸、ギニアと隣接するシエラレオネという半島であった。ペガサス号に移ったニュートンは、その船の船長がガイ・ペンローズという、父親の商売仲間であることを知って驚いた。ペンローズは、知り合いの息子なので、彼をこの上なく温かく迎えてくれた。
 「この船に来たからには、もう心配はいらないよ。海軍にはいろいろ面倒な規則があってな、おまえさんみたいな若者には窮屈だったろうよ」
 ペガサス号は民間の船なので、軍艦のような規則はないし、いろいろなことを命令する上官もいなかった。船員たちは、気さくで人の良い者ばかりだったので、ニュートンは伸び伸びとくつろぐことができた。
 しかし、ここでまたしても彼の悪い癖が出てきた。皆が仲間として対等に扱ってくれるのをいいことにして、自分の経験や知識を鼻にかけ、自慢話ばかりするようになったのである。そして、ペンローズが自分の父親の友人だと言いながらも、父のように業界や財界に広く顔を知られ、知識人や政界の名士との面識もないことを見抜いてしまった。
 (なんだ、大したことないじゃないか。こんな男の下で働いても、あんまり利益はないんじゃないかな)
 次第にニュートンは、この船長をばかにするようになり、生意気な口をきくようになった。それだけでなく、仲間の船員たちに彼の悪口をさえ言うようになったのである。
 そんなある時、脱走してきた泥棒を船長が気の毒に思ってかくまってやり、食物や着る物を与えて世話してやったところ、次の港に着いた時にこの男は、隙を見て積荷の中から高価な品々を盗んで逃げてしまった。
 これを見た時、ニュートンはあきれるより先に怒りがこみ上げてくるのを覚えた。
 「お人好しにもほどがあるじゃないか。まったく、うちの船長はばか丸出しだ」
 彼は船長をばかにする歌を作り、これを町で流行している歌のメロディに乗せて歌いだした。

  ペン、ペン、ペンローズ、
    かなつぼまなこの大まぬけ。
  大泥棒をかくまって、
    一緒に酒を飲むうちに、
  積荷をごっそり盗まれた。

 船員の仲間は面白がってはやし立てた。
 「おい、おまえ」
 その時、ニュートンの腕をつかんだ者がいた。それは、ジョサイア・ブラントという一等航海士であった。
 「いい加減にしないと、今にひどい目に遭うぞ。ペンローズ船長はおまえを受け入れ、親切に面倒をみてくれた恩人じゃないか。この恩知らずめ」
 彼はめったに人と争わず、穏やかな性格だったので、このように感情的に怒りをぶつけるのは珍しいことだった。
 それ以来、船員たちはニュートンに対してよそよそしい態度をとるようになり、彼を見る目も冷ややかになった。
 (嫌な男だ。おれがどんな歌を作ろうと勝手じゃないか。いつか仕返しをしてやるぞ)
 ニュートンは、ジョサイア・ブラントに激しい憎しみを抱くようになった。

 ところが程なくして、思いがけない出来事が起きた。船がシエラレオネに着いた時、ガイ・ペンローズ船長が、急死したのである。彼は以前から心臓疾患を抱えていたのだが、皆に心配をかけまいとしてこれを隠し、明るく振る舞っていたのである。
 大きな包容力と温かな心をもち、船員たちをわが子のように大切にしていた船長との突然の別れに、すべての者が嘆き悲しんだ。そして、その遺体は、礼を尽くして丁重に水葬に付されたのだった。
 ニュートンは、涙一滴こぼさずに葬儀を見守っていたが、なぜかその心は虚ろで、言いようもない恐怖が忍び寄ってくるのを覚えた。それは、彼の人生が底知れない罪の泥沼に引き込まれる前ぶれでもあった。
【「百万人の福音」2017年6月号より】

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