《N.T.ライトとは誰か》4 国教会の出世コースを辞し 研究と執筆に専念

  • 2018/6/26
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英国の聖書学者N・T・ライトが注目されている。その福音理解の新鮮な視点が高く評価される半面、伝統的な義認論・贖罪論を脅かすとの批判も根強い。ライトはどんな人物で、何を主張しているのか。また、彼に対する賛否の議論はどのようなものなのか。欧米の福音主義神学の動向などに詳しい中澤啓介氏に解説していただく。

N.T.ライトとは誰か

国教会の出世コースを辞し 研究と執筆に専念

大野キリスト教会 宣教牧師 中澤啓介

地道な研究時代(75年~93年頃)

ライトは、1975年にオックスフォード大学メルトンカレッジの研究員とチャプレンに就任します。その後78年から81年、ケンブリッジ大学ダウニングカレッジで研究員とチャプレンを勤めます。81年には『メシヤと神の民:ローマ人への手紙に関わるパウロ神学の研究』という論文をメルトンカレッジに提出し、DPhilの学位を取得します。
81~86年、モントリオールのマクギール大学の新約学の准教授になります。86~93年にはウェスターカレッジで研究員とチャプレン、さらにオックスフォード大学の新約聖書の講義者になります。研究分野もパウロ研究からイエス研究へと広げ、「史的イエス」に懐疑的な人々との論争にも積極的に関わります。その傍ら、国教会の福音派の学者たちを育てるために建てられた研究センター「ラティマーハウス」の評議会の秘書となり、活動の場を広げていきます。
ライトは、若い時から著述の賜物を自覚し、興味深い書物を出版しています。78年にはオックスフォードの学生グループに語った説教に基づき、『小さな信仰、偉大な神』を著しました。その5章には、「主は聖なる方」というイザヤ書6章からの説教が掲載されています。ライト自身が40年後にそれを読み、今の自分が語っていることとほとんど変わらないと感動を覚えたほどの書物です。80年には、福音派の一致を促進させるためにと国教会の福音派協議会より要請され、『国教会福音派のアイデンティティー:聖書、福音書、教会の関係』を出版(J・I・パッカーとの共著で、新しい解説を加え08年に同じ書名で再版)。さらに83年には、『ジョン・フリスの作品』を著し、宗教改革者ジョン・フリス(1533年没)に関する研究を発表しています。
86年にはティンデル注解シリーズの『コロサイ書とピレモン書の注解』を執筆しました(08年に邦訳出版)。88年にはステファン・ニールによる『新約聖書の解釈』の改訂版を出版しています。初版は1861年から100年間の新約聖書の学術書を扱っていましたが、ニールはライトの助力を得て改訂版に着手。ところがニールは84年に没し、ライトは一人で61年から86年までの期間の書物を加える作業をすることになったのです。
以上のように、ライトは70年代から80年代にかけ、様々な種類の書物を出版しています。しかし、基本的には学術雑誌への論文投稿がほとんどで、一般社会や教会に対して働きかけたものはごくわずかでした。そのため、新約学者の間ではそれなりの評価を受けますが、一般社会で注目されることはありませんでした。

脚光を浴びる時代(93年頃~05年頃)

しかし、90年代に入ると、様相はがらりと変わります。ライトは学際的な世界だけでなく、広く一般社会を意識し、情報を発信するようになります。「史的イエス」などの論争を巡って、テレビやラジオにもしばしば出演しています。その書物や講演、インタビューなどは次第に高い評価を得るようになり、彼の活動はどんどん広がっていきます。
その背景は、彼の稀有なコミュニケーション能力だけでなく、国教会の中でより高い地位に登りつめていくことと深く関係していました。ライトは94年から99年まで、リッチフィールド大聖堂の主席司祭(Dean)に任じられます。2000年にはウェストミンスター大寺院の最高位の神学者(Canon Theologian)に抜擢され、03年にはダラム大聖堂の主教(Bishop)に就任します。この教会は国教会の中でも古い教会の一つで格式も高く、国教会第4位の地位にあります。世界遺産にも登録され、映画「ハリー・ポッター」の撮影現場としても有名になりました。
06年8月4日、ライトは5年間の教会関係の法定代表者に指名され、イギリスの国会にもしばしば招待され、国家の問題にも深く関わるようになります。こういう状況の中で、彼の発言は国教会内でもますます大きな影響力をもつようになります。ところがライトは、10年4月27日、学究的な生活と放送などの働きに専念したいという理由で、8月31日をもってダラム教会を辞したいと表明します。国教会の様々な問題に巻き込まれるより、学術的な研鑽、執筆と講演活動の道を選んだのです。その結果、スコットランドのセントメアリーカレッジの「新約聖書と初期キリスト教の研究教授」に就任します。このような決断の背景には、何があったのでしょうか? おそらく、ライトの神学に対する国教会の評価が微妙に反映しているように思われます。〈5に続く〉(クリスチャン新聞連載)

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中澤啓介
私は、高校1年のときに、人は何のために生きているのだろうという疑問をもち、キリスト教会を訪ねた。そこで、聖書を読み、神を信じるようになった。以来、神は私のどんな問題でも解決してくださることを経験してきた。そのような体験から、何か他の人の役に立ちたいと思うようになり、牧師になった。あなたが、どのような問題をもっていても、一人で悩んで、閉じこもってしまわないでほしい。問題を解決してくださる神を知ってほしい。どうぞ、遠慮なく声をおかけください。あなたの人生がすばらしい歩みになるようにと、お手伝いさせていただければ嬉しく思う。
1942年生まれ。大学では哲学専攻。家族は妻のみ。二人の子どもは結婚して、孫も二人。

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