《6・23「慰霊の日」平良修氏》沖縄と教会を思う

  • 2018/6/25
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沖縄と教会を思う 「第一の戒め」はすべてを含む

6月23日は、沖縄戦の悲劇を覚える「慰霊の日」だ。住民を巻き込んだ地上戦は数多くの犠牲を生んだ。戦後、米国統治下にあった沖縄だが、日本返還後も米軍基地を巡る問題が続いている。今年11月には沖縄県知事選を控え、様々な勢力により普天間基地移設問題が揺れ動いている。沖縄の問題について発言、行動してきた牧師、平良修氏(日本基督教団沖縄教区議長)は「まず現象の背後の問題、歴史を知ってほしい」と言う。「慰霊の日」を迎え、教会や沖縄の課題を聞いた。【高橋良知】

—様々な課題に教会が取り組むときに何が大事になるでしょうか

沖縄だけではなく世界のすべてのキリスト教会に当てはまることがあります。

神様のいちばんの戒めは、全身全霊で主なる神を愛するということ、そして、隣人をあなたが自分自身のように愛することです(マタイ22章37〜40参照)。

キリスト教会の使命にはキリストを述べ伝える福音宣教、いわゆるクリスチャンを増やしていくことがあります。それは間違いではないのですが、根本は神を愛し、隣人を愛することにあります。伝道だけでは教会の使命は果たせません。福音派、社会派と色分けするのは間違いです。教会はすべてイエス・キリスト派ではないでしょうか。人を大事にすることの中に教会の使命のすべてが入ります。隣人を大事にすることが神を大事にすることなら、殺し合ってはいけない。戦争はその具体的なことです。

聖書は「いのちのことば」ですが、この「いのち」は霊的なことだけではなく、肉体的なことでもあります。霊魂だけの人がいないように、肉体だけの人もいません。両方のいのち、人間の総体を大事にしてほしい、それが健全な姿です。

伝道とともに、良きわざもしないといけない。力量に応じて選ばないといけない現実はあります。しかしやる必要がないからやらないのではなく、限界があるから選んでいるにすぎません。教会ができない、やろうとしない領域も含めて、「すべてわたしの領域」とイエス様はおっしゃるでしょう。キリスト教会の仕事は山ほどあるのです。

—宣教の理解を教会に集う人々とどう共有すればいいでしょうか。

まず、どういうことが宣教か、それをしっかりと教会が認識すること。その認識がなければ、話題や意識は展開しません。楽しい礼拝、伝道をして受洗者が出て十分という考えも出てくるかもしれない。しかしそれは宣教をせばめていないか。宣教の理解が正しく広がれば、スケールの広い教会になれると思います。最大の戒めを間違えばすべてに影響します。目に見える隣人を愛せないで目に見えない神を愛することはできません。

—沖縄の課題とはなんでしょうか

日本国は沖縄との関わりの中で、大きな罪を犯しています。今起きている現象的なことだけではなく、歴史を学ばないといけません。簡単に言えば、沖縄の歴史は、日本国によって「琉球処分」され続けた歴史です。500年続いた琉球王国を明治政府は力で抑えて県に組み込んだのです。独立を奪ったことへの謝罪は日本からはなかった。これが基本にあります。

歴史と現状を学ばないと妥当な結論を得られないでしょう。民主党政権時代(2012年)の防衛大臣、森本敏氏はある意味本質をつく発言をしました。「抑止力という意味では米軍基地は沖縄でなくてもいい、だが政治的には沖縄がいい」と。

沖縄は日本にとって「国内植民地」なのです。植民地は宗主国の利益に利用されます。森本氏が「政治的に」と言うのは、政府も国民も沖縄を植民地として扱い慣れている、ということです。良いものは本土に、悪いものは沖縄に回すというやり方です。

2010年、鳩山由紀夫元首相は、全国の知事に、沖縄の基地負担の一部を引きとってほしいと願いましたが、どこも引き受けませんでした。基地を引き受けるということは、たくさんのトラブルを抱えることになる。難しい問題は沖縄に預けておけばいいということなのです。沖縄は目に見えない。遠いところです。地理的だけではなく、心情的にも遠いのです。血を分けた兄弟と感じない。多くのヤマト(本土)の人はその事実を知らない。そして、その状態に慣れている。この問題をぶち壊さないといけません。

「慰霊の日」は、イスラエル民族にとっての出エジプトのように、沖縄の人にとっては大事な歴史の出来事、沖縄戦が終わったとされる日です。

政府が週休2日制を導入したときに、就労時間が減るので、各自治体独自の祝日を廃止しようとしました。このとき、沖縄県民は抵抗し、政策を覆させました。「慰霊の日」は沖縄にとってはそれほど意味のある日なのです。

「必要な戦いもある」とも言われます。間違った相手を抑える力をどうしても持たないといけない現実がある、正義のための戦争があるという思想・神学があります。

罪ある世界の中で生きる上で限界がある、間違った方法だとしても、さらに大きな罪を抑えるために、しないといけない戦争があり得ると。

それなりに苦悶をともなう言い訳をするかもしれませんが、そういう言い方で、教会があるべき姿から後退しないでしょうか。多くのいわゆるキリスト教国は教会に支援され、良しとされ、やすやすと戦争に乗り出すことにならないでしょうか。神はその教会を良しとなさるでしょうか。裁かれるべきことをやっていると思わないといけないと思います。

裁かれるべきことについて、逆に正当性を堂々と主張するのであれば、それは堕落です。「最後の評価、判断はあなたの御手にあります」という謙虚な祈りがないと教会は厄介な暴れん坊になり得ます。「キリストの赦しの下で」が錦の御旗になって、とんでもない罪を犯す可能性があります。それが戦中の日本の教会ではなかったでしょうか。

すべての赦しの実現を信じる教会だけれども、戦争を良しとすることだけは赦されないことだ、という、それ位の戦争罪責の意識が必要ではないでしょうか。戦争に加担することはそれほど重い罪です。

—軍事に関係する改憲の動きが進んでいます

平和憲法が出来たとき、国会では本当に非武装でいくのかと真剣な問いがありました。吉田茂首相は、防衛力をもつべきとして、軍事力が拡大された結果が敗戦だった、武力によっては国家は守れないということを述べて、武力によらず話し合いで解決していく方向を示しました。

どこの国でも軍事力を強化するとき国を守るため、自衛のためと言います。侵略のためとは言いません。21世紀は抑止力がキャッチコピーのようになっています。だからこそ憲法精神を堅持しないといけないと思います。

もし日本国が自衛だけでなく、国外に出て行く実力を持つという方向に国民の世論が向かうならば、9条を自分のものにして沖縄は独立したいですよ。もともとは日本ではない国が強引に独立を奪われたのですから。憲法のどこかが不十分だったから揺らぐというのだとすれば、9条の精神を持つ、もっと確かな憲法の新しい国家を考えたいです。

「祈りは信仰者の基本的な行動。この基本が具体的な行動に結びつかなければ、ただ祈るだけで終わってしまいます」とも平良氏は述べた。諸教会はどのような祈りと行動を導けるか。2000年の第4回日本伝道会議は福音派諸教会を中心とする教会の連携により、沖縄で開催された。そこでは沖縄の痛みの歴史に耳を傾けながら、沖縄宣言「21世紀の日本を担う教会の伝道−和解の福音を共に生きる−」(電子版に全文)を発表した。これらの蓄積も確認しながら、「慰霊の日」と今後の沖縄、日本に目を向けていきたい。

【クリスチャン新聞6月24日号より】

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