ユダとは?

イスカリオテのユダとは…

イスカリオテのユダと言えば「裏切り者」の代名詞である。ユダはもともとイエスの十二弟子の一人だったが、次第にイエスに不信を抱くようになり、イエスを十字架につけようと画策していたユダヤ人指導者たちに銀30枚で売ってしまった。

イエスの裏切者

ユダが裏切るときにキスをしたことや後悔して金を返そうとしたが受け取ってもらえなかったことも、よく知られている。しかし、こうした詳細よりも、ユダがもともとイエスの弟子だったのに、イエスのもとを離れ、イエスを捕らえる側についてしまったことにこそ本質的な問題はある。
ヨハネの福音書」は、こうしたユダの姿勢がそれ以前から見え隠れしていたことを記している。ユダは、弟子たちの会計係を務めていたが、その金を自分のために着服していたことが指摘されている。またベタニヤのマリヤという女がイエスの足に高価な香油を注いだときにも、この女の行為を非難している。ユダは「その分を貧しい人に施すべきだ」と言っているが、そんな気持ちはさらさらなく、ただイエスに対する彼女の感動が理解できなかったのである。

後悔と悔い改めの違い

ユダがイエス・キリストのもとを離れてしまった点だけについて言えば、ある意味でほかの弟子たちも同罪である。イエスが十字架にかかったとき、ペテロはイエスを知らないと3度言い、ほかの弟子たちも逃げてしまったからである。
しかし、ほかの弟子たちは神の憐れみに立ち返り、やり直したのに対し、は後悔しただけで神のもとに帰ってこなかった。ユダは最後まで神に相談せず、自分で悩み、自殺してしまった。
ある人たちは、イエスはユダが裏切ることを知っていたのだし、この裏切りも神の計画の内にあったのだから、ユダだけ裁かれるのはかわいそうだと考える。極端なことを言えば、ユダは神に利用されたというわけである。しかし、人間の意志は神の主権とは別次元のものである。神の計画がどうであったにせよ、ユダは自分で考え、自分の意志でイエスを売る決心をしたのである。
また、ある人たちは、もしイエスが全知の神なら、どうしてこんな人を弟子に選んだのかと考える。しかし、イエス・キリストは完全無欠な人間を弟子にしようとはしなかった。ほかの弟子も含めて、人間はみな罪を犯す危険性を持っている。しかし、失敗してしまったとき、どうそれに対応するかこそが問題とされている。
人間としての小ささに気づき、神のもとに自分自身を明け渡すことが真の弟子に求められているのである。
(出典:杉本智俊『聖書人物伝 これだけは知っておきたい127人』フォレストブックス, 2013, 180-181p)


 

ユダ(イスカリオテのユダではない)とは…

十二使徒の一人。「ルカの福音書」及び「使徒の働き」ではヤコブの子ユダと呼ばれるが、「マタイの福音書」及び「マルコの福音書」ではタダイである。「ヨハネの福音書」ではイスカリオテでないユダと紹介され、イエスに向かって「ご自分を世に現そうとしないのはなぜか」と尋ねている。それ以外に彼について聖書からは知りえない。
(出典:岸本紘『聖書人物伝 これだけは知っておきたい127人』フォレストブックス, 2013, 194p)


 

ユダ(イエスの兄弟)とは…

イエスの兄弟たちのリストにユダの名前を見つけることができる。この兄弟・姉妹というギリシヤ語(アデルフォイ・アデルファイ)を「いとこ」の意味に解釈しようと試みた者もいるが、それは、マリヤを生涯処女であったとするためと思われる。
ユダの人となりなど、詳しいことはわからない。なおイエスを裏切ったユダはもちろん別人である。『新約聖書』の「ユダの手紙」の著者はイエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟と記されており、伝統的に彼によるものとされている。
(出典:岸本紘『聖書人物伝 これだけは知っておきたい127人』フォレストブックス, 2013, 192p)

聖書人物伝
千代崎秀雄、鞭木由行、内田和彦、杉本智俊、岸本紘 共著
224頁 定価1,800円+税
いのちのことば社

 

ユダ(地名)とは…

ユダという呼称の由来について,創29:35によればレアは第4子が生まれた時,「今度は主をほめたたえよう」と言ってユダと名づけたとあるから,ヘブル語のヤーダーを語源とし,「感謝」「賛美」の意味と考えられる.似た名前が創26:34「エフディテ」,Ⅰ歴2:47「ヤフダイ」に見られる.
しかし,アラビヤ語のワハド(ヘブル語のヤハドゥ)に由来するという説もある.その説によれば,「低地」「低い」という意味で,ユダの山地の西側にある低地に住んだ部族という意味か,あるいは,レアの第4子という地位と関係があるのではないかと言われている.
地名あるいは領土としてのユダについては以下の通りである.
⒈部族の領土.申34:2によれば,ヨルダンの平野から地中海までの間を指している.ユダ部族に与えられた領土としての記述はヨシ15:1‐12にあり,民34:3‐5と一致する.すなわち,東の境は,死海の岸に沿って,南端から北端まで,北の境は,ヨルダン川の南端から始まって,エルサレムの南の谷ベン・ヒノムに沿い,ベテ・シェメシュを通ってヤブネエルに至る.西の境は地中海である.南の境は,死海の南端からカデシュ・バルネアに至り,そこから,エジプト川(ワディ・エル・アリシュ)に出て地中海に至る.ヨシ15:20‐63には,ユダ部族の町々の名が列記されている.なお,ユダ部族の領土の中で,ベエル・シェバを中心とする地域はシメオン部族に与えられた(ヨシ19:9).地理的な表現としては「最南端の町々」(ヨシ15:21),「低地」(15:33),「沿岸」(15:47),「山地」(15:48),「荒野」(15:61)ということばが用いられているが,これは大きく3つの型に分けられる.⑴海岸の平野部でペリシテ人の地として知られた地(Ⅰサム6:1,27:1,Ⅱ列8:2‐3).この地はユダの領土として割り当てられはしたが,実際はペリシテ人が住んでいた.肥沃な平野または斜面で,多くの人口を支えることができた.⑵シェフェーラーあるいは低地(申1:7,ヨシ9:1,11:2,16,15:33,Ⅰ列10:27,Ⅰ歴27:28,エレ17:26).これは山地と海岸の平地の間に位置する地域.山に囲まれた谷間で,穀物が豊富.洞穴も多い.しばしばペリシテ人との戦いの場になった.⑶ユダの山地.ここは大部分が岩石地で,自然の要害となり,農耕よりは牧畜に適していた.長さ約56キロ,幅約24キロのこの地域は,北部を除いて,三方が岩山や荒野である.
⒉王国としてのユダ.ソロモンの子レハブアムの時に統一王国はなくなり,イスラエルは北と南に分裂したが,南の王国は滅亡するまでその名をユダ王国と呼ばれた.ユダ王国は,北はベテルの南を境とし,エルサレムを首都として,南はエラテ,カデシュ・バルネアに及ぶ地域で,西はペリシテ人の地を除く範囲であり,ユダ部族とベニヤミン部族とから成っていた(Ⅰ列12:17,21).南王国は,前722年北王国イスラエルがアッシリヤによって滅ぼされた後も,自然の条件もあって存続したが前586年バビロンのネブカデネザルによってエルサレムが陥落し,ユダ王国は終わりを告げた.
⒊属州としてのユダ.ペルシヤ王クロスは前539年にバビロンを占領し,ユダはペルシヤ帝国の属州として呼ばれるようになった(エズ5:1,8,ダニ2:25,5:13).またペルシヤのダリヨス1世は,全国土を20の州に分けたが,その第5州の「川向こうの州」の中に,シリヤ,フェニキヤ,パレスチナが含まれ,このパレスチナの一地方区がユダであった(エズ4:10,5:6,6:6,8:36).ペルシヤ帝国時代は,「イェフードゥ」と呼ばれ,当時の青銅貨や水差しの取っ手にその文字が記されたものがユダの地から出土している.バビロン捕囚から帰ってきた人々は,元来ユダ王国の者が大部分だったようで,かつての自分の住所に再び定住する者が多かった(ネヘ11:25‐36).
ペルシヤの属州としてのユダは,エルサレムを中心とする長さ48キロ,幅32キロの楕円形の狭い地域であった.
ギリシヤ・ローマ時代には,パレスチナ南部のこの地区をユダヤと呼んだが,前3世紀のエジプト人歴史家マネトンは,ユダヤとはユダヤ人の住んでいる地域を指すことばである,としている(ヨセフォス).
マカベア時代には,ユダヤを中心に,ユダの領域は拡大されていた.しかし,ローマ時代のパレスチナは,地理上,行政上から,ガリラヤ地方,サマリヤ地方,ユダヤ地方の3つに区分されていた(ルカ4:44,使10:37).ユダヤの歴史家ヨセフォスによれば,当時ユダヤは11の地区に分割されており,エルサレムは最も重要な地区であった.
ユダヤは紀元6年アケラオの失脚と共に,総督という肩書きを持つ特別な長官の監督下におかれた.紀元41年までユダヤ地区のみが総督のもとにあったが,44年以後は,全パレスチナが総督のもとにおかれた.(富井悠夫)

新装版 新聖書辞典
いのちのことば社
1728頁 定価6900円+税

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